私ならこうしていただろう(今だから言えるが):
総理大臣を始めとして所謂専門家の方々の間でも誰一人として、この「新型」と銘打たれたコロナウイルスの制圧対策の具体案を持っている人などいなかったのだろうと、私は見ている。だから「後手・後手、継ぎ足し対策」しか講じられなかったことを何度も批判したが、同情申し上げるべき余地はあったと思う。だが、そうかと言って「専門家」とは半ば敬意を表しているかの如くに呼ばれ、安倍内閣が依存していた会議にしても、他の感染症対策の経験者にしか過ぎなかったとしか思えない。中には「オーバーシュート」という誤ったカタカナ語を普及させた方もおられた。
そこで、特措法に規定された各都道府県の知事に委託された制圧策に関する権限の如きものがあるようだから、私もその知事の一人になったつもりで、「私ならこうしただろう」という辺りを気楽に考えて見ようと思う。
「新型コロナウイルス」と何かを勉強する:
先ずは感染症か疫学を専門とされる医師または大学教授(という少なくとも現場で患者を診ておられる方という意味)にお願いして、最短でも2~3日はブリーフィングを受けることから始める。即ち、敵を何とか知ろうとすることから入るのだ。その際に対策と制圧策の基本も徹底的に学んでおくことだ。ここには「己を知る」が抜けているが、己は無知であるというの大前提だ。その知事は文系の人であっても、この過程を省略することは出来ないと心よ。
制圧対策の立案:
勿論、アメリカ等の諸国で実施された「都市の封鎖」は検討されねばなるまい。だが、そこに「私権がどうの」という壁と、ザル法と非難された「特措法」の不備があるのだから、その辺りに対する対策も十分に検討しておかねばなるまい。外食や外飲業界への休業要請が必要であると判断したのであれば、自分の県に十分な予算があるか否かを十分に調査してた上で、確固たる休業補償の原資を用意しておかねばなるまい。それが不足していれば、国に援助を依頼するか起債などという“contingency plan”を用意しておくべきだろう。
制圧対策の具体案:
これは都庁なり県庁なりが精一杯知恵を絞って立てるべき事だ。その際には例えば行程表(某都知事は、私でさえ(?)使ったことがなかった“road map”なるカタカナ語を使って罪なき一般人を煙に巻いた。更に「警戒警報」までカタカナ語を使って準備された。それならそれで結構だが、それぞれを都民乃至は県民に知らしめる際に「かかる発令するときには具体的に如何なる行動を取るのか、または全員に如何に行動して貰いたいかを、分かりやすく日本語で指示して置くべきだ。人を惑わすカタカナ語は不要だ」と敢えて断じておく。要するに、抽象的ではなく具体的な指示が必須だ。
レインボーブリッジだの通天閣だのテレビ塔を色彩豊かにして照らし出せば、それを以て能事負われりなどと思っていれ大間違いだ。どの色で照らし出せば「絶対的に外出を控えよ」であるとか「飲み屋やキャバクラやホストクラウブの類いは直ちに休業することを要請する」くらいを事前に明らかにしておく必要があると思う。ただ照らしただけでは、その風景を見に行くアホどもが群がっていたではないか。要するに、何か発表すれば、それで終わりであり、後は市民の良識と判断にお任せでは、極めて無責任で「無為」である。記者会見で標語の掲示板を掲げるのも無用だ。
記者会見:
多くの自治体では感染者数の発表に知事が登場される。私はこれは単なる「スタンドプレー」であり、極言すれば「やっている振り」に過ぎないと思っている。知事の職務内容記述書があれば、「新柄コロナウイルス対策のみに専念せよ」との項目はないと思う。内閣参与の飯島勲氏は小池都知事に向けて「毎日の感染者の発表などは担当の課長クラスに任せておくべし」と手厳しかった。同感であって、都知事には心配すべき他の重要な職務があるはずだと言いたい。ウイルス対策だけで給与を貰っておられるのではないはずだ。県知事の出番ではない自治体もあるが。
要するに、言いたいことは包括的に物事を把握して、首尾一貫した対策を講じて欲しいのである。西村康稔大臣を出し抜くことが何かの手柄になるのだと思っておられるような姿勢は見苦しいし、都民の為になっているとはとても考えられない。西村氏も責任ある大臣なのだから、もっと積極的に西村色を出した思い切った対策を打ち出すべきだ。その為には職務権限でも何でも良いから、小池都知事のスタンドプレーを抑え込んで貰いたいのだ。彼には国民の為にのみに働く義務がある。保身を考えていられる職責にはいないと自覚しておられるのだろうが、そうとは見えないのが残念だ。矢張り、小池都知事の批判になったか。
総理大臣を始めとして所謂専門家の方々の間でも誰一人として、この「新型」と銘打たれたコロナウイルスの制圧対策の具体案を持っている人などいなかったのだろうと、私は見ている。だから「後手・後手、継ぎ足し対策」しか講じられなかったことを何度も批判したが、同情申し上げるべき余地はあったと思う。だが、そうかと言って「専門家」とは半ば敬意を表しているかの如くに呼ばれ、安倍内閣が依存していた会議にしても、他の感染症対策の経験者にしか過ぎなかったとしか思えない。中には「オーバーシュート」という誤ったカタカナ語を普及させた方もおられた。
そこで、特措法に規定された各都道府県の知事に委託された制圧策に関する権限の如きものがあるようだから、私もその知事の一人になったつもりで、「私ならこうしただろう」という辺りを気楽に考えて見ようと思う。
「新型コロナウイルス」と何かを勉強する:
先ずは感染症か疫学を専門とされる医師または大学教授(という少なくとも現場で患者を診ておられる方という意味)にお願いして、最短でも2~3日はブリーフィングを受けることから始める。即ち、敵を何とか知ろうとすることから入るのだ。その際に対策と制圧策の基本も徹底的に学んでおくことだ。ここには「己を知る」が抜けているが、己は無知であるというの大前提だ。その知事は文系の人であっても、この過程を省略することは出来ないと心よ。
制圧対策の立案:
勿論、アメリカ等の諸国で実施された「都市の封鎖」は検討されねばなるまい。だが、そこに「私権がどうの」という壁と、ザル法と非難された「特措法」の不備があるのだから、その辺りに対する対策も十分に検討しておかねばなるまい。外食や外飲業界への休業要請が必要であると判断したのであれば、自分の県に十分な予算があるか否かを十分に調査してた上で、確固たる休業補償の原資を用意しておかねばなるまい。それが不足していれば、国に援助を依頼するか起債などという“contingency plan”を用意しておくべきだろう。
制圧対策の具体案:
これは都庁なり県庁なりが精一杯知恵を絞って立てるべき事だ。その際には例えば行程表(某都知事は、私でさえ(?)使ったことがなかった“road map”なるカタカナ語を使って罪なき一般人を煙に巻いた。更に「警戒警報」までカタカナ語を使って準備された。それならそれで結構だが、それぞれを都民乃至は県民に知らしめる際に「かかる発令するときには具体的に如何なる行動を取るのか、または全員に如何に行動して貰いたいかを、分かりやすく日本語で指示して置くべきだ。人を惑わすカタカナ語は不要だ」と敢えて断じておく。要するに、抽象的ではなく具体的な指示が必須だ。
レインボーブリッジだの通天閣だのテレビ塔を色彩豊かにして照らし出せば、それを以て能事負われりなどと思っていれ大間違いだ。どの色で照らし出せば「絶対的に外出を控えよ」であるとか「飲み屋やキャバクラやホストクラウブの類いは直ちに休業することを要請する」くらいを事前に明らかにしておく必要があると思う。ただ照らしただけでは、その風景を見に行くアホどもが群がっていたではないか。要するに、何か発表すれば、それで終わりであり、後は市民の良識と判断にお任せでは、極めて無責任で「無為」である。記者会見で標語の掲示板を掲げるのも無用だ。
記者会見:
多くの自治体では感染者数の発表に知事が登場される。私はこれは単なる「スタンドプレー」であり、極言すれば「やっている振り」に過ぎないと思っている。知事の職務内容記述書があれば、「新柄コロナウイルス対策のみに専念せよ」との項目はないと思う。内閣参与の飯島勲氏は小池都知事に向けて「毎日の感染者の発表などは担当の課長クラスに任せておくべし」と手厳しかった。同感であって、都知事には心配すべき他の重要な職務があるはずだと言いたい。ウイルス対策だけで給与を貰っておられるのではないはずだ。県知事の出番ではない自治体もあるが。
要するに、言いたいことは包括的に物事を把握して、首尾一貫した対策を講じて欲しいのである。西村康稔大臣を出し抜くことが何かの手柄になるのだと思っておられるような姿勢は見苦しいし、都民の為になっているとはとても考えられない。西村氏も責任ある大臣なのだから、もっと積極的に西村色を出した思い切った対策を打ち出すべきだ。その為には職務権限でも何でも良いから、小池都知事のスタンドプレーを抑え込んで貰いたいのだ。彼には国民の為にのみに働く義務がある。保身を考えていられる職責にはいないと自覚しておられるのだろうが、そうとは見えないのが残念だ。矢張り、小池都知事の批判になったか。