これだと思う表現を覚えておくと何時か必ず役に立つ:
何時も思うことだが、私の英語論は我が国の学校教育の英語で単語カードだの文法がどうしたのという「科学として英語」で育てられ、長じてはTOEICだの英検だの等の試験での好成績を目指して勉強してこられた方々にとっては異論であり「何を言っているのか?」と受け止められるのだろうと考えている。時には私の勉強法乃至は教え方を「非現実的な理想論だ」とまで非難されたことすらあった。
もっと正直に言えば「学校教育の英語の勉強法では、海外に出られて支配階層にあるような人たちと、本当の意味での意思の疎通は図るのは極めて困難になるだろうし、ましてや丁々発止と口角泡を飛ばしての議論や、意見交換などをするのは至難の業になりますよ」と言いたいのだ。
そこで、今回は少し方向を変えて何時も指摘して来た「英語は易しい言葉を沢山使って解りやすく話し且つ書いていこう」という辺りを追って、幾つか例文を和文英訳の形で挙げてみようと思う。私は「我が国にはその文化である漢字とその熟語を使って意志を表現する文化があるので、事が英語になるとそこにも同じような熟語のような表現があると思われている方が多いようで残念だ。
学校教育で学ばせられた無駄に(失礼)豊富な単語の知識を活かして、難しい単語を駆使されるので、無闇に格調高い難しい文章になってしまう傾向があるのだ」と、経験上から考えている。
「噂によれば、彼は来月末で早期引退をするようだ」
“A little bird told me that he would make an early retirement at the end of next month.”
これは「噂によれば、彼は来月末で早期にリタイアするようだ」と訳せば良いと思う。単語帳的知識では「噂」は“rumor”だが、こういう言い方もあるのだと覚えて置かれると良いと思う。因みに、アメリカの会社では定年制などないのだから、リタイアする時期は各人が決めるのだ。
「一番肝腎なことは、もうこれ以上中国から輸入しないことだ」
“The name of the game is not to import any more from China.”ということ。“name of the game”とすると、元の単語とはかけ離れた意味になってしまうのが怖い。これが所謂「慣用句」の難しさであり怖さでもある。日常的にこういう表現は幾らでも出てくるので、覚えておくと便利だ。
「世の中は狭い。今日ここで君に会うとは全く予想していなかった」
“It’s a small world. You were the last person whom I expected to meet here.”となると思う。逆にこの英文に出会えば「何のことか?」と迷うだろう。“last person”と言えば「全く予想していなかった」の意味になるのだ。“small world”も決まり文句のような表現なので、理屈抜きで覚えておくしかない。
「ドアがひとりでに閉まった」
“The door closed by itself.”
となるのだ。これは某船社のシアトル駐在の方に聞かされた失敗談だった。現地の小学校に通っておられるお嬢さんに「英語でドアがひとりでに閉まった」と言ってご覧と言われて「どうしても“The door closed automatically.”しか出てこなくて笑われた」という話だった。実は、私も正解できずに恥じ入ったのだった。
「我が社は必ずその領域に達してみせる」
これはアメリカの同業他社の製品が常に我が国で優れた輸入紙として品質の基準になっていたので、我が方は常にそれに追い付き追い越そうと懸命の努力していたものだった。その為の品質会議で本部のマネージャーは「そんなに弱気になるな。我が社は必ずその領域に達してみせる」と言って全員の士気を鼓舞したものだった。
それは何と“I am sure we will get there.”だった。日本文から考えると何か難しい言葉をつかわないと表現できそうにないのだが、現実にはこんな易しい単語ばかり簡単な文章だった。
「形振り構わずに(突き進む」
これは1975年頃だったか、私が報告書に使いたい表現が思い浮かばす、日系人でワシントン大学(州立だがアメリカ中でも一定の高い評価がある大学)のMBAであるJ氏に「どう言えば良いか」と教えを乞いにいった。彼の日本語能力は我々以上だったかも知れない。そこで即座にでた言い方が“disregarding whatever criticism to be directed upon ~”だった。「流石だ。凄いな」と感心した。書きたかった事はこのお陰で“He went ahead disregarding whatever criticism to be directed upon him.”として完成した。
ここには多少難しいかも知れない単語が入ってはいるが「形振り構わず」という日本語の表現の意味を捉えて、瞬時にこう言う英語にしてくれたJ氏の日本語の解釈が凄いと唯々感心したのだった。
「私は君が失敗するように本気で願っている訳ではない」
“It is not my true wish to see you fail.”
とでも訳せば良いと思う。この文章で“not”を抜かせば「私の本当の願いは」になる。ここでは“true wish”という言い方を覚えて置いて頂きたいのだ。
ここまでで強調しておきたかったことは「難しく考えないこと」と「日本語の意味をキチンと解釈して英語に置き換える訓練をしておこう」に加えて、「簡単で易しい中学1年の教科書に出てくる程度の単語の知識を活用しよう」なのである。こういう形の英語の表現を沢山覚えていて、その中の言葉を適当に入れ替えれば、応用が利くのだという原則を忘れないようにしよう。それが上達への道でもあるのだから。
何時も思うことだが、私の英語論は我が国の学校教育の英語で単語カードだの文法がどうしたのという「科学として英語」で育てられ、長じてはTOEICだの英検だの等の試験での好成績を目指して勉強してこられた方々にとっては異論であり「何を言っているのか?」と受け止められるのだろうと考えている。時には私の勉強法乃至は教え方を「非現実的な理想論だ」とまで非難されたことすらあった。
もっと正直に言えば「学校教育の英語の勉強法では、海外に出られて支配階層にあるような人たちと、本当の意味での意思の疎通は図るのは極めて困難になるだろうし、ましてや丁々発止と口角泡を飛ばしての議論や、意見交換などをするのは至難の業になりますよ」と言いたいのだ。
そこで、今回は少し方向を変えて何時も指摘して来た「英語は易しい言葉を沢山使って解りやすく話し且つ書いていこう」という辺りを追って、幾つか例文を和文英訳の形で挙げてみようと思う。私は「我が国にはその文化である漢字とその熟語を使って意志を表現する文化があるので、事が英語になるとそこにも同じような熟語のような表現があると思われている方が多いようで残念だ。
学校教育で学ばせられた無駄に(失礼)豊富な単語の知識を活かして、難しい単語を駆使されるので、無闇に格調高い難しい文章になってしまう傾向があるのだ」と、経験上から考えている。
「噂によれば、彼は来月末で早期引退をするようだ」
“A little bird told me that he would make an early retirement at the end of next month.”
これは「噂によれば、彼は来月末で早期にリタイアするようだ」と訳せば良いと思う。単語帳的知識では「噂」は“rumor”だが、こういう言い方もあるのだと覚えて置かれると良いと思う。因みに、アメリカの会社では定年制などないのだから、リタイアする時期は各人が決めるのだ。
「一番肝腎なことは、もうこれ以上中国から輸入しないことだ」
“The name of the game is not to import any more from China.”ということ。“name of the game”とすると、元の単語とはかけ離れた意味になってしまうのが怖い。これが所謂「慣用句」の難しさであり怖さでもある。日常的にこういう表現は幾らでも出てくるので、覚えておくと便利だ。
「世の中は狭い。今日ここで君に会うとは全く予想していなかった」
“It’s a small world. You were the last person whom I expected to meet here.”となると思う。逆にこの英文に出会えば「何のことか?」と迷うだろう。“last person”と言えば「全く予想していなかった」の意味になるのだ。“small world”も決まり文句のような表現なので、理屈抜きで覚えておくしかない。
「ドアがひとりでに閉まった」
“The door closed by itself.”
となるのだ。これは某船社のシアトル駐在の方に聞かされた失敗談だった。現地の小学校に通っておられるお嬢さんに「英語でドアがひとりでに閉まった」と言ってご覧と言われて「どうしても“The door closed automatically.”しか出てこなくて笑われた」という話だった。実は、私も正解できずに恥じ入ったのだった。
「我が社は必ずその領域に達してみせる」
これはアメリカの同業他社の製品が常に我が国で優れた輸入紙として品質の基準になっていたので、我が方は常にそれに追い付き追い越そうと懸命の努力していたものだった。その為の品質会議で本部のマネージャーは「そんなに弱気になるな。我が社は必ずその領域に達してみせる」と言って全員の士気を鼓舞したものだった。
それは何と“I am sure we will get there.”だった。日本文から考えると何か難しい言葉をつかわないと表現できそうにないのだが、現実にはこんな易しい単語ばかり簡単な文章だった。
「形振り構わずに(突き進む」
これは1975年頃だったか、私が報告書に使いたい表現が思い浮かばす、日系人でワシントン大学(州立だがアメリカ中でも一定の高い評価がある大学)のMBAであるJ氏に「どう言えば良いか」と教えを乞いにいった。彼の日本語能力は我々以上だったかも知れない。そこで即座にでた言い方が“disregarding whatever criticism to be directed upon ~”だった。「流石だ。凄いな」と感心した。書きたかった事はこのお陰で“He went ahead disregarding whatever criticism to be directed upon him.”として完成した。
ここには多少難しいかも知れない単語が入ってはいるが「形振り構わず」という日本語の表現の意味を捉えて、瞬時にこう言う英語にしてくれたJ氏の日本語の解釈が凄いと唯々感心したのだった。
「私は君が失敗するように本気で願っている訳ではない」
“It is not my true wish to see you fail.”
とでも訳せば良いと思う。この文章で“not”を抜かせば「私の本当の願いは」になる。ここでは“true wish”という言い方を覚えて置いて頂きたいのだ。
ここまでで強調しておきたかったことは「難しく考えないこと」と「日本語の意味をキチンと解釈して英語に置き換える訓練をしておこう」に加えて、「簡単で易しい中学1年の教科書に出てくる程度の単語の知識を活用しよう」なのである。こういう形の英語の表現を沢山覚えていて、その中の言葉を適当に入れ替えれば、応用が利くのだという原則を忘れないようにしよう。それが上達への道でもあるのだから。