新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月20日 その2 キリスト教の経験

2020-08-20 14:53:41 | コラム
キリスト教の文化を経験して:

Healing ministry:

1973年の未だM社に所属していた頃の経験だった。ジョージア州アトランタで週末を1人で過ごすことになった。退屈なので何気なく地下に降りてみた。そこでは所謂宴会場のような大広間で多くのキリスト教の信者が集まって集会が開催されていて、外からでも覗けるようになっていた。見るともなく見ていると、牧師が語っていたというか説教だったのだろう。やがて「悩みや病を治したい者はは前に進み出なさい。私がこの場で治してあげる」というようなことを言うや否や、かなりの数の人たちが続々と進み出た。

その牧師が何をしたかというと、一人ひとりから悩みなどを聞いてから何かを唱えて頭の上に手をかざしたのだった。そこから先には驚きというか異常な展開となって、その人たちがバタバタと倒れてしまったのだった。そこには何時の間にか介添え役がいて倒れてしまう前に支えて床に寝かせるのだった。そして、暫くすると何名かは立ち上がって牧師に礼を言って席に戻っていった。私にとっては全く信じられような光景なので、唯々呆気にとられて見ていた。

すると、受付にいた数人の婦人に「貴方が信者でなくても良いから、中に入って手かざしを受けてみたらどうか」と声をかけられた。そこで、質問があると「あの方は一体如何なる牧師さんなのか」と尋ねてみた。答えは”reformed Jew“と言ってユダヤ教から改宗された牧師様で、あのような何人も治癒してしまう能力を備えておられるお方だ」だった。勿論、とても信じる訳には行かないので、謹んで辞退して自室に戻った。だが、暫くはその不思議な光景の残像が残って落ち着かなかった。

週が明けて事業部に出勤して同僚にあの何と形容して良いかも解らない経験を語ってみた。すると本部の人たちは誰も驚く様子もなく「それは”healing ministry“と言って、そういう治療をするプロテスタントの牧師の職務の一つだ」と解説して貰えた。それはそれで解ったが、あれではプロテスタントというのは、我が国にも良くある新興宗教のようなものか、あるいはキリスト教と雖も初期には新興宗教的な色彩があり、今でもその形があのように残っているのではないのか。また、それに簡単にかかって倒れるような単純素朴な人たちがアメリカにはいるのかと、大いに考え込まされた。

復活祭のミサに参加して:
これは2000年4月ことで、リタイア後に初めてアメリカの空港の入管で”Pleasure trip.“と申告して入国した旅での経験だった。この際も週末の土・日にぶつかってしまった。すると、永年苦労を共にしてきたCustomer service担当でマネージャーの肩書きを持つLindaから「”Easterのミサに参加しないか」と誘われた。彼女は私が信者ではないことを承知しており「その点は関係ないから是非参加してみなさい。その後で両親と夕食会をするから」と薦めるので。お言葉に甘えることにした。


正直なところ、同じキリスト教でもカトリックとは異なってプロテスタントはそれほど形式を重んじないと聞いていたので、何事も経験かと思って教会に案内されてみた。そのミサも協会内の雰囲気も決して形式を重んじていないどころではなく、卒業後に何度か参列したことがあったあの四谷のイグナチオ教会で執り行われた葬儀とそう変わらないくらいの荘厳さだったので、先ず圧倒された。この点は予期した以上に非常に印象的だった。

そこから先は予想もできなかったことになって、参加者全員が”Happy Easter!“と言って、涙を流す者もいる状態で、誰彼の区別なく抱き合って祝福し合うのだった。私もその祝福の渦の中に巻き込まれたのだった。そして、その雰囲気にも圧倒されて気が付けば涙を流して誰彼ともなく抱き合っていたのだった。80年代にアトランタで経験したあの”healing ministry”の光景も思い浮かんできた。正直に言えば、招待してくれたLindaには心の中で感謝していた。この辺りが宗教の持つ凄さと、そう言って良いのか知らぬが、魔力のような物があるのかとも感じていた。

話は変わるが、これまでに何度もアメリカの共和党や民主党の大会を見ていると、良くあれほど大勢の支持者たち(人たち)が一堂に会して、個人が主体の国であるにも拘わらず、一致団結してあれほど盛り上がる精神構造には、あの復活祭のミサに見たキリスト教の集会的な何かがあるのではないかとすら感じさせられていたのだった。我が国のような物静かな民族性とは異なって、何事でもお祭り騒ぎのように賑やかに騒ぐアメリカとの文化と考え方の違いすら感じたキリスト教(プロテスタント)の経験だった。

そういう観点からすれば、あのバイデン氏を指名した民主党のリモートでの党大会が、如何にCOVID-19の蔓延の最中とは言え、盛り上がらなかったのは当然だったと思うし、バイデン氏を全国に印象付け損なったかのような気がするのだ。その点では、トランプ大統領というか共和党が同時期に開催した集会の方が巧みだったのではないのか。


「文化の違い」を痛感させられた

2020-08-20 12:18:40 | コラム
アメリカで体験した文化の違い:

Thanks giving(感謝祭)の晩餐会に招待されて
80年代だったと記憶するが、偶々ご案内していた東京からのお客様の都合で、キリスト教徒にとっては非常に重要なこの日にサンフランシスコに滞在して、そこから帰国することになった。それを知ったサンフランシスコ営業所のマネージャーが、親戚までが集まるその晩餐会に招待してくれて、当日は郊外の彼の家に一泊することになった。実際に行ってみて分かったのだが、彼の家は築100年以上の何とも言えない貫禄がある木造建築で、その一室が営業所として使われていたSOHO(自宅を事務所として使用)だった。

七面鳥を焼くのはご主人の仕事で奥方も忙しいので、その樹齢百年を超えるという大木に囲まれた家の中で、双子の息子さんとお嬢さんたちと雑談をしながら晩餐を待っていた。いざ開始となってどういうものかと興味津々で見ていた。すると、先ず全員が大きなテーブルを囲んで起立し肩を組んで賛美歌を歌い、ご主人の指導の下に祈りを捧げることから入って行った。恥ずかしながら、イエズス会が運営する学校に4年もいたが賛美歌も知らず、お祈りも知らなかったので、何とかモゴモゴ言って過ごしていた。かなり緊張を強いられた。

食事中は皆で楽しく語らいながら、予てから「不味い」と聞いていた七面鳥を味わうのだが、将にパサパサで「なんでこんなものを」と思わずにはいられなかった。食事は”buffet1“形式(「カタカナ語で言う「ビュッフェ」で英語読みは「バフェー」となる」でキッチンまで銘々が取りにいって楽しむようになっていた。私は単なる食事会かと思っていたが、そこでは全員が思い思いの話題を持ち出して、それこそ楽しく深夜まで語り合うのだった。だが、困ったことに採り上げられたのは単なる世間話には終わらなかったのだった点だった。

因みに、3人のお子さんたちは皆カリフォルニア州立大学(California State University=CSUで、我が国で広く知られている州立のUniversity of California=UCとは別個)に在学中だった。ここでお金の話を持ち出せば、州立大学は私立よりは授業料等が低額だだとは聞いていたが、年間の学費は当時でも3万ドルはかかっていたと思うので、親御さんの負担は年間に9万ドルにも達するので、偉いものだと感心していた。

そこで、晩餐会中の話題である。意外であったし特に驚かされたのが、そこには所謂「西洋美術史」から「クラシカル音楽」等々の西洋の文化にまで広がっていったことだった。正直に言えば、私の貧弱な知識では容易に話題の輪の中に入って行けなかったのだった。それはベートーヴェンの第9だとか、ショパンのピアノ曲がどうのという程度は少しは語れるが、彼等のような音楽の専門語まで飛び出してくる会話では、静かに下俯いて聞いていただけだった。ましてや、泰西名画にまで飛んで行かれては、我と我が身の無教養さを嘆くのみだった。

結果的には話題がジャズやNFLのフットボールからMLBの野球にまで持っていって貰って、何とか参加できた。だが、沈黙しながらから考えていた事は「これらの話題は全て彼らの文化であり、我が国はそれらを明治以降取り入れたのである以上、そもそもが彼らのものであるから話題が豊富なのは当然である。何も私がここで恥じ入って反省する必要はないのでは」だった。考えを変えれば、そこで私が滔々と語るべきは「我が国の固有の文化」であるべきだったと言うこと。

それらとは何かと考えるときに「私は(未だに)能も歌舞伎も見たことがなく、柔道も空手も知らず、古典についても誠に不勉強で何ら語るに足る知識がなかった」と痛感したのだった。確かに、何処で如何なるアメリカ人と語り合う時にも、フットボールや野球を採り上げれば十分に会話が成立するのだ。だが、それでは所詮は借り物の文化を語っているに過ぎず、我が国の文化の紹介にはなっていないのだ。楽しい集いだったが、反省材料も沢山あった次第。

食後にはご主人がキーボード、奥方がバイオリン、お子さんたちがクラリネット、サキソフォン、フルートでクラシカルからポピュラーミュジックまでを演奏して締め括られた。変な言い方になるが「負けたな」と感じた。この一家は決してアッパーミドルではないが、かと言って中間層ではかなり上の部類に入る集団だと思った。その辺りは、その家が建っている地域がかなり高級な住宅地帯である事からも言えると思う。私は矢張り「キリスト教国との文化の違い」を学ぶ貴重な機会だったを与えられたと受けとめて、翌日サンフランシスコから帰国した。