新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月9日 その2 日本望見

2021-06-09 16:02:43 | コラム
我が国程良い国は他にはない:

私は「自分の國は外国に行ってみて、異文化と異文明を体験して、マジマジと見てこないことには、我が国の何ものにも優る良さと優れた点は解ってこない」と固く信じている。何も外国に駐在してご覧なさいとか、アメリカのIvy Leagueのような超一流大学に留学なさいと言っている訳ではない。例えパック旅行ででも1週間でも他国を見てくるだけで、視野の広さやものの考え方は当人が気が付かないうちに自然に変わってくるのである。

私の永年の友人である某商社マンは海外駐在の経験はもとより、輸出入の専門家として諸外国を飛び回ってきていた。その彼がしみじみと語ったことは「日本に帰ってくる度に、世界の何処にこれほど良い国があるかと再認識する」と語っていた。1970年の日本の会社の頃から現在まで通算すれば、100回は海外に出ていたろう私は全く同感だった。と言って見ても、万人の同意を得られるかどうか解らないが、永年慣れ親しんできた自国であるという他に、海外では望み得ない優れた点が数々あるのだ。簡単な例を挙げれば「我が国程治安が安定している國があるか」ということだ。

この商社マンと全く同じ事を2019年の1月1日にカリフォルニア州のロウズボウルスタジアムで、シテイバンクで日本に駐在しているという日系アメリカ人からも聞いた。彼は「日本駐在の勤務から離れたくない。日本程治安が安定していて夜間に女性が独り歩きしても何の危険もない事などはアメリカにいては想像も出来ない、人々は優しく親切で、食べ物が美味くて、住宅等の環境が良く、公共交通機関が発達している国はない。とてもアメリカ勤務に戻ってきたいとは思わない」と言って聞かせてくれた。

余談だが、彼は「ベニハナ・オブ・トウキョウ」の創立者の一人のお孫さんで、その一家の方針で家族間では日本語を話すこととして育ったということだった。そうとは知らずにこの日本礼賛論までは英語だったが「実は、此れ此れ然々で日本語は出来るので」と言い出して、そこから後は日本語で語り合っていた。このようにアメリカに生まれ育って大学を経て銀行勤務をしている若手が日本に駐在してみて、その良さが解ったという話を聞けたのは、極めて印象深かったし、我が意を強うしたのだった。

この二つの経験談からしても、私は「自国と自国の文化を知らずして外国を語るなかれ」と主張するのである。そこには、多少は外国語の知識と能力が必要になるだろうが、百聞は一見にしかずで外国に行ってその気になって異文化を見聞するか体験してみれば、我が国が如何に優れているかが自ずと見えてくるのだ。故に、私は一部の報道機関に見られるような、自虐的なものの見方を排除するのだ。彼らは駐在員まで派遣していて、そのくらいのことが解らないのは天下の奇観であると思う。

実は、目下ある先生のご提案を受けて「外側から見た日本と日本人」を纏めているところだが、上記の一文がその導入部に使えるかと考えている所だ。


「選択」の6月号より

2021-06-09 11:21:20 | コラム
ここまで言うのかと思わせられた点もあった:

級友が6月号には興味深い記事があると言って、ポストイットを貼って送ってくれた。「選択」には寄稿者は匿名だが新聞記者が何割かいると聞いている。3件程あったが、中でも感心させられたのが“コロナ「尾身茂」という国難”で副題が「日本迷走の諸悪の根源」となっていた記事。時恰も尾身氏が国会でオリンピック開催について苦言(なのだろう)を述べていたし「IOCにも申し入れるべき事を申し入れよ」とも述べた後だったので、大いに気を惹かれた。

要するに、一線で取材をしているのだろう記者たちの目で見る尾身茂氏の実像を暴き立てのだろう。だが、そこまで承知していながらテレビでも新聞でも「尾身氏とは」を報じないのは片手落ちかなとも思わせられた。私は尾身氏はCOVID-19の感染が始まってから、いきなり表舞台に登場され、菅首相にも西村康稔大臣にも常にご意見を伺わせている偉い方なのだろうと思っていた。そこでWikipediaでおよその経歴は知り得たが、臨床の経験に乏しい専門の医師と言うよりも政治家のようなお方かと看做していた。

私がこの方を「おかしい」と思ったのは、“overshoot”という単語を使って「爆発的感染の拡大」を言い表そうとされたことだった。カタカナ語排斥論者としては「言葉の誤用をする者など信用できるか!」なのだ。「えー格好しい」の小池都知事も直ちに追随して「言葉の誤用クラブ」の会員となった。このオーバーシュートは最早死語と化したかの感が濃厚だが、何故かテレビ等に珍重される有名人や専門家はカタカナ語を使いたがるのだ。

選択の記事に戻そう。ここで批判されていることは「尾身氏は厚労省の医系技官には逆らえずに言いなりである点」や、「ご自身が理事長である地域医療機能推進機構に属する複数の病院が感染した患者を積極的にとっていないこと」や「殆ど論文を出していないこと」や「専門的知識に乏しい」と関係者に指摘されている」等々の点である。しかも、尾身氏程度のリーダーしか選択できなかったことを非難して結んでいた。建設的と言うよりも徹底的に批判的だった。

次は“コロナ「水際対策」の呆れた惨状”で、副題は「インド型蔓延は到底防げない」となっていた。これにはさして斬新なものは感じなかったが、マスメディアはこれくらいの批判的なことは穏やかに報じておくべきだと思う。既に採り上げたが、参議院議員・佐藤正久はテレビで何度か「外国からの入国を未だに制限できてないのは問題で、改善を要する」と述べていた。報道では確かに「入国者や帰国者が必ずしも指示通りの手段ではなく空港から出ていく事例がある」とはあったが、ここまで詳細に実態が採り上げられていないと思う、言わば暴露記事だった。

私は今日までに成田空港は大袈裟に言えば100回ほども利用しているから良く知っているが、何百人もの外国人と帰国者が群を為して入ってくれば、彼らを収容できそうな場所が無いだろう事や、検疫の場所での超満員の状態になってしまうこくらいは容易に想像できる。國がやっておくべきだった事は、迅速にそういう作業が出来るような場所を臨時にでも設けておくべきだという点。それをせずして厳格な制限を設けずに外国からの人を入れていただけではなく、入国後の追跡が出来ていなければ、変異株などが入ってくるのは当たり前だと思う。

この選択の記事は何も目新しいことを言っているのではないと思う。「為すべきことが出来ていない」と知らせているだけだ。政府が何処の国に遠慮しているのか知らないが、現状では「惨状」という表現は、外れていないとしか思えない。しかし、国側にも同情すべき点はあると思う。それは「このような予期せざるウイルスが外国から入ってくるとの推定の下に、入管や検疫の体制を整備してあった訳でもなく、人員も用意してなかったのだろう」からだ。これらを後手と批判するのは酷で、先手を打てていなかっただけだと考えるようにしている。

級友が指定して来た最後の記事は“ワクチンに「自衛隊投入」の危うさ”だった。私は確かに野党などが騒ぎ立てるように「菅首相の焦り」であるとか「安全安心のオリンピック開催の為か」と「自衛隊の濫用」との声もあると承知している。だが、そうとは見ないようにしている。

それは、菅首相は口下手で言いたい事が言えていないかの感があるが、自衛隊に依存してでも1日に100万回のワクチンを接種するのは国民のためには明らかに良いことなのだ。私は1回目を終えただけでも、大いに精神的には安らぎを得ている。菅首相は最低でも「私は総理大臣の務めとして、国民の皆様の安全と安心の為を図っております」くらいは仰っておけば良かったのにと思う。