田中将大投手が侍ジャパンに選出された:
ニューヨーク・ヤンキースに7年だか8年だったかを過ごした田中将大が、言わば鳴り物入りで出身地の樂天イーグルスに出戻った。だが、これまでの所では成績は芳しくなく、私の見るところでも、あの24勝無敗の頃の輝きもなく、MLBで投げていたときのような迫力というか、気迫は感じられなかった。私は既に「だから、機を見るに敏なヤンキースが手放しのか」とすら述べてあった。
その田中将大が今期は不振であるジャイアンツの菅野智之と共に、侍ジャパンに選ばれたのは、何時か何処かで聞いた面白いカタカナ語の「ネームボリューム」のお陰かと、本気で疑っていた。言うまでもない事だろうが、これは「ネーム・ヴァリュー」の誤りではあるが、「ネーム」に「ヴォリューム」があるという誤解は、満更大外れではないところが面白くて覚えているのだ。
そのネームボリュームを背負った田中将大の投球を、昨晩じっくりと観察する機会があった。彼は西武ライオンズの若手にいともアッサリと打ち込まれてしまった。ライオンズの20歳台前半の若手たちには、24勝無敗でMLBに在籍していたというボリュームは通じなかったようだった。まさか、時代が変わったとまでは言わないが、あそこまでいとも簡単に田中が打ち込まれる様を見た記憶がなかった。
私は石井一久監督は何時田中を引っ込めるのかと思っていたし、解説の橋上は6回にも田中が出てきたときには明らかに驚きを表していた。私は田中はあのまま引っ込んだのでは、沽券に拘わるとでも意識しているのかと感じていた。しかしながら、味方が奮起してくれて、ライオンズから点を取り戻したので、正直に言えば無様ながら勝利投手にもなれてしまった。しかし、あの出来では今後が不安であろうとしか思えなかった。
私なりに彼の投球を分析してみると、先ず球速がないことを挙げたい。6回まで見た限りでは1球だけ150 kmがあっただけで、所謂「伸び」も感じられなかった。MLBでは空振りを取れていた落ちる球(スプリットと表現される)は、選球眼に優れたNPBの打者はストライクからボールになると見極めてしまい手を出さないようだった。それに、後ろから見た投球フォームには威圧感がなかった。三振は七つ取れていたが、それこそ「昔の名前で出ています」田中だったからだけではないのか。
ここまで言ってくると、如何にも田中将大を見切ったように思えるかも知れないが、そこまでは言う気はない。田中は未だ33歳で凋落する年齢ではないとは思う。故に、何時かは立ち直ってアメリカ時代やそれ以前の切れ味を見せるとは期待している。だが、あの異国のアメリカで数多くの南アメリカ勢たちが演じてみせる身体能力ショーのような野球の中で、懸命に努力して彼らに負けないようにして過ごせば、体力の消耗はNPBにいた時代とは訳が違うと思う。現に、彼らの世界に20年以上もいた私は、体格と体力の違いを克服するのには本当に苦労した。
侍ジャパンの稲葉監督はその田中にはMLBの、しかもヤンキースで過ごしてきた経験と知識を評価し、尚且つ期待して選んだのではないだろうか。そこには矢張り「ネームボリューム」への期待感があるだろうし、予見可能な間に往年の田中将大に戻ってくれることも期待しているのだろうと思う。少し話が違うと思うが、身体的に問題を抱えているかもような菅野智之の選抜には、私は素直に疑問を感じている。あの状態にある菅野に「気力で立ち直ってくれ」と期待するかのような選び方には、些か疑問を感じるのだ。
ニューヨーク・ヤンキースに7年だか8年だったかを過ごした田中将大が、言わば鳴り物入りで出身地の樂天イーグルスに出戻った。だが、これまでの所では成績は芳しくなく、私の見るところでも、あの24勝無敗の頃の輝きもなく、MLBで投げていたときのような迫力というか、気迫は感じられなかった。私は既に「だから、機を見るに敏なヤンキースが手放しのか」とすら述べてあった。
その田中将大が今期は不振であるジャイアンツの菅野智之と共に、侍ジャパンに選ばれたのは、何時か何処かで聞いた面白いカタカナ語の「ネームボリューム」のお陰かと、本気で疑っていた。言うまでもない事だろうが、これは「ネーム・ヴァリュー」の誤りではあるが、「ネーム」に「ヴォリューム」があるという誤解は、満更大外れではないところが面白くて覚えているのだ。
そのネームボリュームを背負った田中将大の投球を、昨晩じっくりと観察する機会があった。彼は西武ライオンズの若手にいともアッサリと打ち込まれてしまった。ライオンズの20歳台前半の若手たちには、24勝無敗でMLBに在籍していたというボリュームは通じなかったようだった。まさか、時代が変わったとまでは言わないが、あそこまでいとも簡単に田中が打ち込まれる様を見た記憶がなかった。
私は石井一久監督は何時田中を引っ込めるのかと思っていたし、解説の橋上は6回にも田中が出てきたときには明らかに驚きを表していた。私は田中はあのまま引っ込んだのでは、沽券に拘わるとでも意識しているのかと感じていた。しかしながら、味方が奮起してくれて、ライオンズから点を取り戻したので、正直に言えば無様ながら勝利投手にもなれてしまった。しかし、あの出来では今後が不安であろうとしか思えなかった。
私なりに彼の投球を分析してみると、先ず球速がないことを挙げたい。6回まで見た限りでは1球だけ150 kmがあっただけで、所謂「伸び」も感じられなかった。MLBでは空振りを取れていた落ちる球(スプリットと表現される)は、選球眼に優れたNPBの打者はストライクからボールになると見極めてしまい手を出さないようだった。それに、後ろから見た投球フォームには威圧感がなかった。三振は七つ取れていたが、それこそ「昔の名前で出ています」田中だったからだけではないのか。
ここまで言ってくると、如何にも田中将大を見切ったように思えるかも知れないが、そこまでは言う気はない。田中は未だ33歳で凋落する年齢ではないとは思う。故に、何時かは立ち直ってアメリカ時代やそれ以前の切れ味を見せるとは期待している。だが、あの異国のアメリカで数多くの南アメリカ勢たちが演じてみせる身体能力ショーのような野球の中で、懸命に努力して彼らに負けないようにして過ごせば、体力の消耗はNPBにいた時代とは訳が違うと思う。現に、彼らの世界に20年以上もいた私は、体格と体力の違いを克服するのには本当に苦労した。
侍ジャパンの稲葉監督はその田中にはMLBの、しかもヤンキースで過ごしてきた経験と知識を評価し、尚且つ期待して選んだのではないだろうか。そこには矢張り「ネームボリューム」への期待感があるだろうし、予見可能な間に往年の田中将大に戻ってくれることも期待しているのだろうと思う。少し話が違うと思うが、身体的に問題を抱えているかもような菅野智之の選抜には、私は素直に疑問を感じている。あの状態にある菅野に「気力で立ち直ってくれ」と期待するかのような選び方には、些か疑問を感じるのだ。