チャーリー「祝祭日ならスタッフ・ミーティングをやろう」と言った:
我がW社の嘗ての#2、チャーリーは極めて猛烈に働く人だったとは昨日述べた。そこで、チャーリーについては色々と思い出した事があったので、あらためて回顧してみよう。因みに、彼はハーバードのLaw school出身で、木材部門を統括する上席副社長であると同時に、実質的にCEOに次ぐ#2であると衆目が認めていた。なお、私は紙パルプ部門の所属だったので、彼の配下にはいなかった。
*祝祭日にスタッフ・ミーティングを招集:
1980年代になってからだったか、チャーリーが彼の下で製材品とチップを担当する彼の信任厚い切れ者と言われていたマネージャーと共に、東京にやって来たときのことだった。超多忙なスケジュールを消化したチャーリーがアメリカに戻った後に、私は本部に出張した。その時に空港で同じ便で帰国する切れ者と出会った。私には当人が全く意識していない特技(と言って良いのかが解らないが)があって「何で、あんたにこんな際どいことを喋ってしまうのだろうか」と、多くの人に不思議がられた「特別な情報を聞き出してしまうこと」が無意識に出来るのだった。
その時の、この切れ者のドン(Don)とシアトルまでの8時間の半分以上もの間語り合って、色々とチャーリーに関わる興味深い物凄い働きぶりと、部下に対しても苛烈な要望を突きつける話を語らせてしまったのだった。この出張の際は、チャーリーたちは東南アジアから香港を経由してきたのだが、日程に不手際で東京に夕方に着いた翌日が祝祭日だったのだそうだ。チャーリーとの強行スケジュールでの行動に疲れ切っていたドンは、この東京側のミスを香港で知って「有り難い。東京で1日休める」と密かに来して、チャーリーに報告したそうだ。
すると、チャーリーは顔色一つ変えずに「それは良い。それならば直ちに東京事務所にその休日にはスタッフ・ミーティングを開催すると指令しろ。当日はまる1日誰にも邪魔されずに会議が出来る」と言ったのだそうだ。ドンは「『何と言う無慈悲なことを言うのか』と心中で嘆いたが、口から出たのが『チャーリー。それは素晴らしいアイデアです。直ちにその旨を電話します』だったのには、我ながら驚いた」と語ってくれた。
こういう調子でドンが内輪話を聞かせてくれたのだったが、シアトルまで4時間を切る頃には「ここからは、今回の出張報告を纏めなければならないので失礼する。チャーリーは私が帰国した当日には彼のデスクの上にタイプアウトされた出張報告を置いておくのが決まりになっているのだから」と言って、当時のことで手書きで原稿を書き始めた。勿論、チャーリーの出張報告も彼の秘書の手に渡っているはずなのだそうだ。彼は言しみじみと「君たちはチャーリーの指揮下にいないのが羨ましいのだ」と言った。
*チャーリーは言った「それは多くの有能な者が生まれた年だ」と:
我々東京事務所の者たちは「あの頭が禿かかっている、老人のように見えるチャーリーは一体何歳なのだろうか」と、常に疑問に感じていた。上記の出張とは別の機会のことだったが、彼の到着前に皆で語り合って、じゃんけんに負けた者が日本の現況報告会の後で、チャーリーに直接に訊きに行こうとなった。
それが、何としたことか負けたのは私だったのだ。私も覚悟を決めてチャーリーに歩み寄って「個人的な質問をお許し下さい」と切り出して「具体的な質問の前に申し上げておきますが、私は1933年生まれです。皆が貴方は何歳なんだろうと言っていて、私がその質問をすべく代表でやって来ました。是非ともお答えを」と恐る恐る尋ねてみた。すると彼はニッコリと微笑んで「それは多くの有能な者が生まれる年だ。君も良い年に生まれたな」と切り返されてしまった。何とも巧みな答え方に圧倒されたと同時に、私と同い年だったとは驚き以外の何物でもなかった。矢張り、彼は天才だと思い知らされた。
*チャーリーは小声で語るのだった:
低音ではなく小さな声でしか語らないので、聞き取るのが一苦労だった。そのチャーリーがスエーデンが誇る多国籍企業T社の日本法人を訪問して、スエーデン人の社長と懇談した。この社長も大変な能力者で、後にスエーデンの本社のCEOに昇進していた。その時同席された日本人の副社長K氏が語ってくれたチャーリーの印象が興味深かった。
K氏はチャーリーが小声でボソボソと語るところに、彼が#2であることが如実に現れていると言うのだ。それは「T社のオウナー兼CEOも非常に小声なので、全員が一言半句聞き漏らさないように真剣に聞いている。オウナーは自分の会社内で上司はいないのだから、小声でも誰からも苦情はでない。聞き損なったのならば、それはその者の責任であると言っておられるのと同然だ。チャーリー氏は今や上司はCEOのジョージだけだから、それ以外の人には何も大きな声で語りかける必要がない地位にあると良く解った」という解説だった。ユニークな見方だと感心した。
そのチャーリーは実はジョージが65歳で会長に退いた後に、CEOに任じられずに木材部門統括のExecutive vice presidentを命じられただけに終わった。我々は「まさか」と呆気にとられ、彼は辞めてしまうのではないかとの声まで上がった。だが、彼はチャンとその任務をリタイアするまで立派に果たしたのだった。余談になるかも知れないが、ジョージの後任には会社全体の売上高の10%だった不動産部門の社長が選ばれたのだった。
*暴露ものかと言われるるかも知れないが:
以上がアメリカの大手企業の経営陣には尋常ならざる能力の持ち主が人いるということを思い出して、細かく延べてみたことであり、我が社の内情を語ったつもりなど毛頭ない。
我がW社の嘗ての#2、チャーリーは極めて猛烈に働く人だったとは昨日述べた。そこで、チャーリーについては色々と思い出した事があったので、あらためて回顧してみよう。因みに、彼はハーバードのLaw school出身で、木材部門を統括する上席副社長であると同時に、実質的にCEOに次ぐ#2であると衆目が認めていた。なお、私は紙パルプ部門の所属だったので、彼の配下にはいなかった。
*祝祭日にスタッフ・ミーティングを招集:
1980年代になってからだったか、チャーリーが彼の下で製材品とチップを担当する彼の信任厚い切れ者と言われていたマネージャーと共に、東京にやって来たときのことだった。超多忙なスケジュールを消化したチャーリーがアメリカに戻った後に、私は本部に出張した。その時に空港で同じ便で帰国する切れ者と出会った。私には当人が全く意識していない特技(と言って良いのかが解らないが)があって「何で、あんたにこんな際どいことを喋ってしまうのだろうか」と、多くの人に不思議がられた「特別な情報を聞き出してしまうこと」が無意識に出来るのだった。
その時の、この切れ者のドン(Don)とシアトルまでの8時間の半分以上もの間語り合って、色々とチャーリーに関わる興味深い物凄い働きぶりと、部下に対しても苛烈な要望を突きつける話を語らせてしまったのだった。この出張の際は、チャーリーたちは東南アジアから香港を経由してきたのだが、日程に不手際で東京に夕方に着いた翌日が祝祭日だったのだそうだ。チャーリーとの強行スケジュールでの行動に疲れ切っていたドンは、この東京側のミスを香港で知って「有り難い。東京で1日休める」と密かに来して、チャーリーに報告したそうだ。
すると、チャーリーは顔色一つ変えずに「それは良い。それならば直ちに東京事務所にその休日にはスタッフ・ミーティングを開催すると指令しろ。当日はまる1日誰にも邪魔されずに会議が出来る」と言ったのだそうだ。ドンは「『何と言う無慈悲なことを言うのか』と心中で嘆いたが、口から出たのが『チャーリー。それは素晴らしいアイデアです。直ちにその旨を電話します』だったのには、我ながら驚いた」と語ってくれた。
こういう調子でドンが内輪話を聞かせてくれたのだったが、シアトルまで4時間を切る頃には「ここからは、今回の出張報告を纏めなければならないので失礼する。チャーリーは私が帰国した当日には彼のデスクの上にタイプアウトされた出張報告を置いておくのが決まりになっているのだから」と言って、当時のことで手書きで原稿を書き始めた。勿論、チャーリーの出張報告も彼の秘書の手に渡っているはずなのだそうだ。彼は言しみじみと「君たちはチャーリーの指揮下にいないのが羨ましいのだ」と言った。
*チャーリーは言った「それは多くの有能な者が生まれた年だ」と:
我々東京事務所の者たちは「あの頭が禿かかっている、老人のように見えるチャーリーは一体何歳なのだろうか」と、常に疑問に感じていた。上記の出張とは別の機会のことだったが、彼の到着前に皆で語り合って、じゃんけんに負けた者が日本の現況報告会の後で、チャーリーに直接に訊きに行こうとなった。
それが、何としたことか負けたのは私だったのだ。私も覚悟を決めてチャーリーに歩み寄って「個人的な質問をお許し下さい」と切り出して「具体的な質問の前に申し上げておきますが、私は1933年生まれです。皆が貴方は何歳なんだろうと言っていて、私がその質問をすべく代表でやって来ました。是非ともお答えを」と恐る恐る尋ねてみた。すると彼はニッコリと微笑んで「それは多くの有能な者が生まれる年だ。君も良い年に生まれたな」と切り返されてしまった。何とも巧みな答え方に圧倒されたと同時に、私と同い年だったとは驚き以外の何物でもなかった。矢張り、彼は天才だと思い知らされた。
*チャーリーは小声で語るのだった:
低音ではなく小さな声でしか語らないので、聞き取るのが一苦労だった。そのチャーリーがスエーデンが誇る多国籍企業T社の日本法人を訪問して、スエーデン人の社長と懇談した。この社長も大変な能力者で、後にスエーデンの本社のCEOに昇進していた。その時同席された日本人の副社長K氏が語ってくれたチャーリーの印象が興味深かった。
K氏はチャーリーが小声でボソボソと語るところに、彼が#2であることが如実に現れていると言うのだ。それは「T社のオウナー兼CEOも非常に小声なので、全員が一言半句聞き漏らさないように真剣に聞いている。オウナーは自分の会社内で上司はいないのだから、小声でも誰からも苦情はでない。聞き損なったのならば、それはその者の責任であると言っておられるのと同然だ。チャーリー氏は今や上司はCEOのジョージだけだから、それ以外の人には何も大きな声で語りかける必要がない地位にあると良く解った」という解説だった。ユニークな見方だと感心した。
そのチャーリーは実はジョージが65歳で会長に退いた後に、CEOに任じられずに木材部門統括のExecutive vice presidentを命じられただけに終わった。我々は「まさか」と呆気にとられ、彼は辞めてしまうのではないかとの声まで上がった。だが、彼はチャンとその任務をリタイアするまで立派に果たしたのだった。余談になるかも知れないが、ジョージの後任には会社全体の売上高の10%だった不動産部門の社長が選ばれたのだった。
*暴露ものかと言われるるかも知れないが:
以上がアメリカの大手企業の経営陣には尋常ならざる能力の持ち主が人いるということを思い出して、細かく延べてみたことであり、我が社の内情を語ったつもりなど毛頭ない。