新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月10日 その2 おかしな言葉遣いを嫌う

2021-06-10 09:20:13 | コラム
私は言葉に敏感なもので:

そういう次第で、私は何もおかしなカタカナ語だけではなく、近頃テレビ等に登場する無教養な輩だけに限られた現象ではなく、結構な知識階級に属しておられる方々や、国会議員たちが使う「おかしな言葉」を聞いていると、その原因は学校での国語の教育にも問題があるのではないかとついつい思ってしまう。

過日、そのようなおかしな言葉遣いについて、「今現在」とか「今の現状」等を批判しておいたが、それについて長年のつきあいがある国文学者のKS教授から下記のようなご意見を寄せて頂いたので、その一部を引用してみようと思う。それによれば、何としたことか学者や大学の先生方も使っておられるようなのだ。

>引用開始
「今の現状」は、「ついつい使ってしまう誤用」の代表でしょう。これと同類の誤りに「違和感を感じる」などがあります。私も会話をしているときにはウッカリ使ってしまうこともありますが、文章語では避けるようにしています。このタイプの「頭痛が痛い」式のあやまりは、最近とみに増えたというより、割と昔からありがちな誤用表現という気がします。

それから、「どうも、こんにちわ」は、私もしょっちゅうつかってしまっています。近年の口語表現において、「どうも」は、「Very」の意味ではなく、「Hello」とか「Hey」の意味でつかわれるケースが増えているようです(挨拶がわりに、「どうも!」とか「どうもです!」とか呼びかけあうケースは非常に多いです)。

私は「どうも=Hello」、「こんにちわ=How are you? 」の感覚で「どうも、こんにちわ」をつかっています。言葉というのは時代とともに変わっていくものであり、「どうも」の意味の変化は、そうした仕方のない変化だと私は思っています。昭和ひとケタ生まれの私の指導教授も、「みなさん、どうも」とか、あきらかに「Hello」の意味で「どうも」をつかっていました・・・

<引用終わる

私はこのおかしな重複した言葉遣いは未だ幾らでもあると見ている。例えば「未だ未だ未熟」、「後ろから追突」、「後で後悔する」、「奪三振を奪う」、「得点差は3点」、「未だ未経験」等々である。これらの多くはテレビの音声で頻繁に聞こえてくる。敢えて私の年来の持論を出しておけば「言葉は耳から入ったものが最も大きな影響を持っているので覚えやすい。私が知る限り誰も生まれてから日本語を勉強した者はいない。自然に耳から入った言葉を記憶しただけではないか」を再録しておく。聞こえた言葉をつい記憶して、何の疑問も感じないで自然に口から出てくるようなのだ。

このS教授の意見についての私の解釈では「これ即ち、英語どころか国語教育の至らなさをも表している」となるのだ。極言すれば、「国語ですら怪しい使い方しかできないような教育をしている事に問題があるのだ。その日本悟が未だ固まっていない小学校の児童に、英語まで教えようなどというのは、誠に以て愚かなこと」なのである。これは私が数十年前から指摘して来たことである。そう主張する根拠にもなるが、日本の会社時代の2期上の秀才が「日本語もままならぬ者に、英語などを教えて効果が挙がる訳がない」と喝破したのと同じ論法なのである。

この国語が乱れているという問題点については、永年の友人である上智大学出身の仏文学者TK博士は「明らかに国語教育者の責任である」と手厳しいのだ。因みに、K博士は20年以上も前から「我が国の外国語教育の水準は世界最低の部類だ」と批判して慨嘆していた。この点については私も国内外での経験から全く同じ見方をしている。困った事だなと痛感することは「我が国の学校教育では国語も外国語も、その水準が非常に低いと指摘しておられる大学の教員がおられるという点」なのだ。


このような問題点を文部科学省は認識できていないのではないかと、非常に不安なのだ。文科省もさることながら、私はテレビ局にも彼らが使う「未だ未熟な」タレントとやらと芸人たちにも、先ず日本語の簡単な試験でもしてから出演させるとか、予め彼らの言葉に言う「NGワード」を叩き込んでおくべきだと思うのだ。

党首討論を聞いて

2021-06-10 08:22:10 | コラム
総理大臣を批判する為の公式な機会かと思った:

つい昨日、菅首相は口下手だと言ったばかりだったので、この何年振りだったかの党首討論を聞いてみた。聞き終えての感想は見出しのようなものだった。私が何時も国会での野党側の質問を聞くか読むかして感じることは「あれは野党側の有権者に向かって自分を売り込むための政権や政府批判声明発信の場ではないのか」と思わせる程、だらだらと自分の言いたい事を言っているだけとしか思えないのだ。特に音吐朗々とした美声だけが売りかと思わせる枝野幸男は「政権を変えるべきだと確信した」など言ったのは面白いが、あれは討論の一部である質問ではないとしか言えない。

私は政治には疎いので終わりまで聞いても、遂に菅首相は蒟蒻問答の如き形に持っていって野党の党首の鋭くない質問を躱そうとされたのか、本当は全てをご承知であっても知らん振りをして直接質問に答えないことを目指しておられたのか、時間切れを狙って例えばヴァレーボールの回転レシーブなどに言及されたのか、何故菅首相はオリンピックの延期か中止をを決める権限はIOCにしかないと野党側は承知していないのかくらいの逆襲もされなかったのかな等々のような受け止め方しか出来なかった。

ある程度期待していたことは「この国難とも言われている難しいときに、オリンピック・パラリンピックをIOC様のご意向を尊重して(オリンピック憲章には逆らえないのでか)普通に開催するしか選択肢がないときに、野党側からはもっと深くえぐった質問が出て、菅首相も声振り絞った答え方をされる激論がもしかして交わされるかと少しは期待していたが、突っ込む側も受ける側も何れにせよ穏便に過ごしてしまったと感じた。収穫だった気がしたこともあった。それは首相が「開催都市は東京だから小池都知事がもっと前に出てこないと」指摘された点だった。

私が感じた疑問点を挙げれば、第一に、何故あれほど短い時間しか予定しないのかとの点だった。それに、司会者(大塚耕平の声に聞こえたが)が指名しなければ発言が許されない形式も、隔靴掻痒の感を禁じ得なかった。あれでは相互に勝手に語っているだけではないのかな。我が国の人々が激しくなるような討論に馴れていないと承知しているが、あれほど間延びした予定された意見交換の如き討論では、何にも建設的な事柄を導き出せなかったし、国家としての難局に如何に対応するかの首相の固い決意も聞けなかったような事だった。

最後に間抜けな感想というか疑問を。それは何故公明党の山口那津男が質問に立たなかったという事だった。あの場は自民党総裁対野党党首の討論会であるから、公明党の山口那津男は座っているだけだったらしいのだ。