「アメリカでは農業って産業だったのだ」:
1972年8月に生まれて初めてアメリカに渡り、オハイオ州の延々と続くトウモロコシ(だと思ったのだが)畑の中を走り続け、方々で大きな機械を使って作業する人たちを見て「ひえー、アメリカでは農業っていうのは、もしかして産業だったのか」と驚異を感じていた。畑の広さと言い何と言い規模の大きさには、ただただ圧倒されていたのだった。要するに、我が国のように先祖伝来の土地を一家で守って野菜を作っているのとは訳が違うようだと知ったのだ。
オハイオ州がトウモロコシの産地なのかなどはその時は全く何の知識もなかったが、アメリカでは農業が家内工業というか、手作業ではないらしいことが解ったのだった。それよりも何よりも「世界に冠たる先進工業国だと思っていたアメリカは、実際に来てみれば「途方もない規模の農業国だったのだ」との学習までできてしまった。アメリカは世界で最も進んだ工業国だったはず何に、農産物の輸出に依存している国だったのだ。
ところで、我が国の農業である。自慢にも何にもならないことで、この歳まで生きながらえていながら、何らの具体的な知識もなかった。いや、正直に言えば、農業について何らの知識はなかった。そこに、今週の週刊新潮で佐藤勝氏と農業ジャーナリスト・窪田新之助氏の「頂上対決」の対談で、窪田氏が無知の当方を大いに啓蒙して下さる統計を語っておられた。自分自身の勉強になるので、これと思うところを引用して見よう。
5年に1土実施される「農業版国土調査」の2020年度版では、農家数は107万6,000で前回から30万2,000と過去最大の減少。その比率も21.9%。農家の平均年齢は67.8歳。農家の人々は70歳になったら辞めてしまうので、これから先に間違いなく大離農時代がやってくると窪田氏は予想していた。アメリカの畑を思い出せば、我が国では農業が「産業」ではなく「家内産業」でしかないということが見えてくるのだ。
同氏はまた、問題点として「現在の農家は年収40~50円の兼業農家が多いにも拘わらず、プロの農家として扱われてきたので、農家として成り立っていないのに農家とされてきた。これではプロの農家としての集約が進まず、合理化されてこなかったこと」も挙げられていた。
窪田氏は」「農家が減っても問題はありません。農家のうち売り上げが1,000万円以上もあるのは全体の1%強で、彼らだけで全販売金額の8割強を占めています。一方、売り上げが100万円以下の農家は5割以上いるのに、全販売金額の5%にも満たない」と指摘しておられた。佐藤氏は「零細農家がどれ程減っても農業に大きな影響はない」と言い切っていた。
窪田氏は「ええ、それなのに農水省は農家の減少が由々しき事態であるかのように言い続けています。農業全体に閉塞感が漂っています。この大離農時代をチャンスに変える力が弱いのです。これまでは農業は守られて然るべきだという発想でやってきましたが、そこから脱却できていない」と警鐘を鳴らしておられた。
実は、ここまででこの対談の1ページにも達していないのだが、農業という分野を専門にしてきたジャーナリストに言わせれば、農業の現実は世間的には余り知られていないというか、認識されていなかったと感じたし、この対談が我が国の農業の実態の一部を見た気にさせてくれた。当方には「この事態を何とかせねば」などと言うことなど唱える気などないが、大いに勉強になった週刊誌の1頁だった。
なお、窪田氏がこの後では「我が国の脳産品の輸出が伸びていると言うが、その原料の大部分を輸入に頼っているのだ」という指摘をされたのも印象的だった。自虐的なことを言う気などないが、我が国の食の安全保障は未だしという説が流れているのも尤もかなとも思わせられた。