新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

岸田総理に向かって爆発物が投じられた

2023-04-16 07:50:10 | コラム
ニュースを聞いたときの直感は:

「大変なことになったな」だった。事の詳細を聞かされる前に「故安倍晋三元総理が狂彈に倒れられてから9ヶ月も経っているにも拘わらず、地方の警察の警備体制は何をやっていたのか」と憤慨していた。総理大臣が地方に遊説に出られて民衆と身近に接するのは良いことではあると思うが。それは警備態勢が万全であることが前提ではないのか。

だが、ニュースで見えたところでは、総理の周囲にいるはずの護衛官の数は少なすぎた。生身の総理大臣が徒歩で移動されるのを見た経験は一度しかないが、その周囲には私服の護衛官が十重二十重に囲んで恐ろしいばかりの早足で進んだので、小渕さんなのだなと辛うじて解るほど厳重だった。警備とはそういう厳重な体勢を採ることだと解釈した。それと比べれば、あの雑賀埼での有様は「何をやっていたのか」と思ったほど無防備に見えて、大失態だと直感した。

あの奈良県警の大失態があった後でも、なおあの程度の無警戒の体勢で総理大臣を護衛していたのかと、その無神経ぶりに失望していた。もしかして、和歌山県では「我が国は世界の何処の国とも違う秩序が整った安全なところで、政治家に危害を加えようとする暴漢が何人も続けて出てくる国ではない」というような甘さがあったのではないのか。通俗的な言い方をすれば「いくら厳重に警戒しても警戒しすぎとはなるまい」ではないのか。

次に奇異に感じたことがある。それは、各政党の今回の襲撃に対する反応が「民主主義に対する犯行乃至は破壊」だったこと。警戒態勢を云々していなかったのは、何かに遠慮しているのかと疑った。または、彼らにも何か内心忸怩たる思いがあるので単純に「怪しからん」と言えなかったのかと疑ってしまった。総理大臣に危害を加えることが非民主的か。単なるテロリズムではないのか。

山上哲也と言い、今回の木村某と言い、民主主義を蔑ろにしようとか、民主政治を損壊してやろうなどとう立派な主義主張に基づいて行動したのだろうか。そうとは思えない。いや、かく申す当方にしたところで「我が国の民主主義を守る為には、清き一票を投じなければ」などと固く心に誓って投票所に行ったことなんてない。民主主義の根幹は「多数決」ではなかったか。

もしかすると、民主主義(って何だろう)の為に政府乃至は政党の要人が一般の有権者に近づいて遊説して回る形式を再検討する時期に来たのではないのか。地方によっては、十分な警備態勢を整えられるだけの警察官の数が不足している場合があるのではないか。複数の政党が同時に巡回してくることもあれば、面倒を見切れなくなるのではないのか。

今回の木村某にしても近所では「普通の青年だ」と言っていたではないか。普通の青年が大衆に交じって突如として爆発物を投じないような警備態勢を整えられていなかったのではないにか。これでは、往年のように特高警察のような組織を設けて、危険人物を常時監視下に置くようにしないと、要人の警護ができなくなってしまいはしないか。現在は「令和」だが「二度あることは三度ある」にならないように祈るだけだ。