新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私がアメリカを語れば

2023-04-01 08:23:24 | コラム
内側で経験してきたアメリカを語る:

つい最近、長年交信してきた方とアメリカを論じたので、ジャーナリストや専門家が論評しておられなかったアメリカを、20年以上もアメリカの会社の一員として体験してきた独自の見方で「誰も語らなかったアメリカ」を纏めてみようと思う。私はこれが実態であると信じている。

なお、ここに言う「内側」とは「インサイダー」を意味している。

州単位:
アメリカ合衆国は州単位で成り立っていて、東西では3時間の時差がある広さ故、人々は自分が住んでいる州のことにしか関心がないのは当たり前。この点では全国紙を全国各地で読み、如何なる出来事の情報も共有し、共感しあう我が国とは大違いである。自分の生まれ育った州から外に出たことがない人はごく普通のようにいるのだ。尤も、面積から見れば、カリフォルニア州は我が国よりも広いのだから、驚くには当たらないと思う。

価値観:
それに、彼らの価値というか物事の基準が個人単位になっているから、他人が何をしていようと何を考えていようと干渉することは極めて希だし、他国での出来事などには「我関せず」の姿勢だ。現に、我が事業部の管理職たちは「日米安全保障条約」の存在を知らなかった。これまでにも触れたが、アメリカ西北部のシアトルに滞在していれば、ホテルで読めるのはワシントン州の新聞だけ。ウエブ版でも読まない限り、NY Timesだのワシントンポストなどを読める機会は来ないだろう。

部屋に入ってくるのはUSA TODAYだけ。この新聞でも日本関連の記事など見たことは殆どなかった。現実には第一次安倍内閣の総辞職はほんのベタ記事だった。即ち、各州の地元紙が海外のニュースを取り上げるわけがないのだ。

誰がアメリカを支配しているのか:
これまでに使ってきた表現は「精々3億3千万人の中の5%にも満たないだろうと思う支配階層の者たちがアメリカを牛耳っているのだから、残る95%の者たちは『彼らは好き好んで(高収入を得るから)やっていることで、我々はこの程度の生活で充分』と頭から諦めているようだ」だった。この点は、外から見ていたのでは感じ取りにくいと思う。

具体的には名門であるとともに非常に豊かな家に生まれ育ち、ある程度以上に明晰な頭脳を持つ者たちが、授業料を含めて年間1,500万円以上もの学費がかかるIvy League等の一流の私立大学で修士号を獲得して、選ばれし者として会社の幹部候補生で入社して出世していく世界なのだ。そういう優れ者たちが常にクロースアップ(「クローズアップ」は言葉の誤用)されるので、アメリカ人たちは皆優秀なのだと勘違いしている傾向があると思う。

その実態を、具体例を挙げて説明してみよう。我が事業部に優秀な若手に州立大学のMBAのWaltがいた。ところが、ある日突然彼の上司に外部から着任したのが名門私立大学のスタンフォード大学のMBAだった。Waltは怒り且つ嘆いた「俺があんな奴の部下になったのは、親が私立大学に送り込めるほど裕福ではなかっただけだ。あいつは資産家の息子というだけで管理職になれたのだ」と言って。これなどは些か極端な例だが、「これぞ、アメリカの企業社会の出来事」と言えると思う。

このように、そのごく限られた数のハーバード大学が代表するような名門私立大学のMBAやPh.D.の精鋭たちが支配するようになっているのだ。こういう精鋭たちには何人も出会ってきた。確かに、中には「これほどの能力がある者には従うしかないな」と痛感させられた凄い切れ者がいた。そういう優れ者たちはGAFAMが示すように20歳代で起業して大成功するし、我が社でも往年の#2のハーバード大学のPh.D.のチャーリーは36歳でその地位に登り着いていた。

この辺りが我が国との最大の違いの一つだと思う。それは、我が国にも彼らに勝るとも劣らない優秀な人たちがいると思う。だが、問題は「我が国には未だ未だ年功序列制が残っているし、管理職になるにしてもいきなり部長だの事業部長に抜擢される仕組みにはなっておらず、段階を踏んで昇進していく制度(文化)」があるのだ。従って、アメリカの支配階層に匹敵する地位に就いたときには多彩な経験を積んだ50歳代になっている例が多いのではないか。

私は、このように学位というか学歴に偏重しているアメリカの企業社会の文化と、我が国の何れが優れているかとか、どちらが良いかを論じる気はない。両者とも一長一短があるのだから。極端な表現をすれば「アメリカでは一流の私立大学に進学できないような裕福ではない家庭に生まれれば、そこで半ば将来が決まってしまう」のだ。そういう人たちの中には、最初から諦めているような者たちがいて、適当にしか働かないことがあるのだ。

ここでも具体的な例を挙げておこう。2005年の暮れにオレゴン大学(州立である!)から明治大学に編入してきたアメリカの青年と語り合う機会があった。彼が日本に留学することを選んだ理由は「高校までに良く勉強しなかったので、州立大学にしか進学できなかった。その時点で自分の将来が決まってしまったと認識して、何とか道を切り開こうと考えた。親たちが従事している対日輸出の分野に進めばと思い、教養課程で日本語を学び、さらに磨きを掛けるべく明治大学を選んだ」だった。

要点は「州立大学にしか進学できなかった時点で将来が見えてしまった」と言っている点だ。換言すれば、裕福ではないと進学できない私立大学こそが、明るい未来をある程度約束しているのだ。我が上司の副社長は息子と娘をIvy leagueに送り込んだし、本部のマネージャーだった夫婦ともにMBAだった人の場合には、息子はハーバードのMBAだし、娘はアメリカ最高の州立大学UCバークレー校で博士号を取った大学教授だ。

このような状態を見れば、アメリカは格差と差別の世界のように見えるだろう。ではあっても、4年制大学のみの出身者でも新卒で就職した中小企業で腕を磨き、実力を備えれば、大手企業にも転職の機会は訪れるものだ。我が上司の副社長はワシントン大学の出身で、本社機構とは別個の存在である地方のパルプ工場の会計係に現地採用された。だが、そこで類い希なる能力を見いだされて、ウエアーハウザーという会社に勧誘されて転職し、副社長にまで登り詰めたのだった。

ここまでは「アメリカという広くて大きな国の一面を取り上げた語ったものだが、我が国との文化の違いと外部から見たり聞いたりしてこられたアメリカとは違う点が多々あるとご理解願えれば有り難い」と思う次第だ。