新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「服装とは」を考えて見よう

2023-04-10 08:45:20 | コラム
「洋服」と言われているくらいだから:

昨日「ブランドもので着飾って」などと言ってしまったので、単なるブランド信奉者ではないことを、改めて説明しておこうと考えた次第だ。そもそも「洋服」という言葉ができたのは「和服」に対する「洋風」乃至は「西洋」の服装ということだと勝手に解釈している。極端に言えば「和服の世界に西洋の服装を導入したのである以上、借り物であるとの印象がつきまとっていて、未だに「自分たち独自の服装」にまで消化し切れていないのだと思っている。

洋服の服装学:
かく申す当方も、これまでに色々の機会を捉えては「ビジネスマンの服装学」を語り且つ書いてきた。それは、期せずして入ってしまったアメリカ人の世界で「彼ら独自のビジネスの世界における服装はかくあるべし」を学ばざるを得なかったので、現場で経験し自分なりに習得した彼らの服装学を発表してきたのだった。要するに「少なくともビジネスの世界においては、かくあるべきものなのだ」と述べて、烏滸がましいかもしれないが啓蒙しようと考えたのだった。

もう15年以上も前のことになったが、故上田正臣氏に示唆されてある国会議員も参加される財界人の会合に参加したことがあった。上田氏のご意向の一つには「彼らの服装も見てくる(評価する)こと」があった。結論として忌憚のないことを言えば「殆どの方々は彼らのような地位にある者の公式の場での服装はかくあるべし」を理解していないというか認識できていなかったのだった。

そうなってしまうのもの無理からぬことで、彼らは「財界人」や「政界人」の服装はかくあるべしと全く学ぶ機会がなかったままに「西洋」の高級ブランドで身を固めることしか知らなかったと言って誤りではなかったのだ。炎上を恐れずに言えば「地方から志を立てて勉学に勤しみ、好成績を挙げて国立や私立の名門大学に進み、会社や政界で栄進出世する間には、西欧式服装学などを学べる機会などなかったのだろう」と読んでいる。

経験から学んだ服装学:
かく申す私も、アメリカの会社、それもアメリカの紙パルプ産業界の上位5社以上の会社2社に入って、支配階層に属する経営者たちから「苟もアメリカの業界を代表するような我が社の社員たる者の服装はかくあるべし」を事あるごとに厳しく、時には細かく教えられたのだった。それは「ただ単にお洒落をするとか、ブランドもので着飾ることではなく、その場その場に相応しい種類の服や色を選ぶべきこと」なのだった。

ブランドもので固めていることは、それはそれで良いのだが、ブランドに固執しているようでは単なる田舎者に過ぎないと蔑視されるだろう。彼らの世界に入ってから「我が社の社員として恥ずかしくない服装をせよ」を技術畑の人にも厳しく言われた。例えば、同じスーツを2日続けて着用して工場に出て行ったら「汗臭いスーツを着てきやがって」と鼻をつまむ動作をされてしまった。

本社から200kmも離れた工場に一緒に行くことになった本部の若手MBAは、スーツを着ていた私に「工場に行くのに堅苦しいなりをしてくるな。自分のようにセーターとジーンズにすべきだ。スーツ姿では工場の社員たちにも「本社風を吹かす嫌みな奴だと嫌われるぞ」と注意された。これは「工場は本部とは別個の存在であり、本社機構に属するものたちとは身分が違うこと」も示している。

副社長兼事業部長の規範:
この辺りもアメリカ独特の「文化」とでも言えるだろう。事業部の運営に全権を持つ彼は部員の服装についても独自に基準(norm)を設けて、全員がそれを守るように要求する。我が上司だった彼はMBAではない資格からのし上がった副社長だった所為もあり特に厳格で、代わりジャケットにズボンという形は許さず、ワイシャツは白と決め理髪は最悪でも2週間置きにせよということまで規制していた。また、今でも交流があるコカコーラ創業者の一族のリタイアした後に大学院大学の教授になった本部のマナージャーだったMBA氏には、休日の寛いだ服装まで細かく指導された。

要するに、彼ら支配階層にいる者たちは「お洒落をするのではなく、大手企業である我が社の社員に相応しい身だしなみを整えてこい」と求めるし、本社機構に属する者たちはその辺りは充分に心得ているのだ。だが、ウエアーハウザーのようにアメリカ西北部に本社機構を置く会社では、東海岸の企業だったMeadと比べれば、かなり穏やか(間違いのカタカナ語では「カジュアル」だ)だったという感があった。

ここで指摘しておきたいことは「このような厳格な服装に基準に合わせていくと、結局は彼らが着ているアメリカの高級ブランド(乃至はヨーロッパでも良いが)を身につけておこうという流れになってくるのだ。その行く先はお洒落の追求になってしまったということ。

現地に溶け込め:
それに、彼らの世界に入ってアメリカやヨーロッパのブランドを着用していれば、自然に彼らの輪の中に入っていける状態になって来るものなのだ。一寸視点を変えた話をすれば、イタリアに駐在した我が国の外交官は「兎に角、イタリア製の服を着ていれば、町中で危険な目に遭う確率は非常に低くなるので、現地に着いたら直ちにその国の服を買って着る方が身の安全の保障になる」とその著書の中で指摘していた。最も至極な指摘だと思う。

それが証拠に、私はアメリカ中何処に行ってもホテルの中でも街頭でも「日本の方ですね」か「日本からお出でになりましたね」と直ぐに見分けることができるようになった。簡単に言えば「日本製と外国ものとは明らかに色使いが異なるし、日本式デザインは妙に柄が細かいのだ」からだ。私が見分けるくらいだから「市中の悪い連中に狙われやすい訳」なのだ。

さらに言えることはアメリカでも何処でも、その土地のブランド品かその土地風の服装をしていれば、確かにその場に溶け込めるのだから、余所者とは見えにくくなると思うのだ。それに為替レートのお陰で、アメリカでは概ね何を買っても割安感を味わえるもの。だが、私の体格ではスーツだけは合うサイズがなく、こちらで買ってPoloであるとか、Brooks rothersがセールの時を狙って買っていた。

ここまで縷々述べてきたように、郷に入って郷に従っている間にこういうことにも気を配るようになり、自然に「ビジネスマンの服総学」に詳しくなってしまった次第。また、ブランド品に依存するようになった理由の一つは「その長所には価格は多少高くても、上手く着こなせるようになれば長持ちする」と学習できたからだ。

保留事項:
だが、「ブランド品で身を固め一分の隙もないような服装には意外な弱点もあるようだ」と、我が国の専門者社の常務さんで海外駐在の経験者に指摘されたこともあった。それは「隙がないなりをしていると相手にとりつく島がないと警戒感を与えてしまい、腹を割って話ができる間柄になりにくいので、何処か一カ所抜けた服装が必要であると聞いた」というものだった。彼はそのためにタイバー(間違った言葉が「タイピン」)をせずに、何時もブラブラさせていた。

余談の部類になるが、営業職にある者は気をつけるべき事がある。それは「赤い色のものを着用すると、相手に要らざる刺激を与えるので、難しい交渉をするときには難航する危険性が高いので、赤を避けること」と言う大原則がある点だ。相手の気持ちを和らげる色は「茶」(ブラウン)で、これは実効があった。但し、茶色のスーツは遊び着なので、原則は濃いねずみ色やネイビーブルー(濃紺)等で10着も揃えてから買うべきものだとも教えられていた。

確認しておきたいことは「アメリカの支配階層にいる人たちは、こういうことことにまでも神経を使っている」ということなのだ。ここにも彼らが単なるトランプ品で着飾っている者を毛嫌いする一つの理由があると同時に、トランプ前大統領のように服装に無頓着で無神経な人を排除しようとするのだ。