新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月21日 その2 「Mein Kampf」訂正場です

2023-04-21 10:01:04 | コラム
「我が闘争の記」である:

何を言い出すのかと思わせたとことで、このヒットラーの著作の題名を使った目的は達せられた。書き物をするのに、書く方式が自体と共に膠って苦戦したと言うことなのだが、それを、」気取って「Mein Kampf」としたまで。

当方は全く期せずして1990年4月から業界の専門出版社の月2回発行の専門誌に「エッセイ」の連載を引き受けたのだった。これは編集長さんが突如として持ちかけた話で、それまでに自分が書いた物が活字になって発行された経験は皆無だったし、第一に代金を頂戴して原稿を書いた経験もなかった。それにも拘わらず、何か天命のように感じて引き受けてしまった。無謀だったと思う。その際に初めてその出版社専用の原稿用紙を渡されてそれに書くのだと知った次第だ。

この世に数多おられる作家の先生たちは万年筆で書いておられるようだが、ずぶの素人も私は書き直すことを前提に考えて、鉛筆で書くことにした。編集長さんの提案は「何を書いてもう良い」だったので、ならばと、多少心得がある英語とアメリカのことにすると考えて、題名は「英語とEnglish」に決めた。1回目は確か我が国の英語教育では英語を教えてもEnglishを教えていないので、「英語で思うことを自由に話せなくなるのではないか」としたと記憶する。

今回話題にしたのは書き続けてきた内容の問題ではないのだ。誰かが原稿を書き、それが何人かの手を経て活字になり本になった世に出て行くまでの方法というか手段の変化を論じたいのである。この出版社で私が手書きで書いた原稿が世に出て行くようになると、一定の数の読者が読んでくださるのだ。その結果として、有り難いことに権威ある業界団体の広報誌からも連載のご依頼を頂戴した。すると、ここの原稿用紙の形式が違うので戸惑ったりもした。

書く量が増えるにつれて、その執筆業は難しくなってきた。それは、よほど表現することを事前に確定してから取りかからないと、途中で構文を入れ替えることにでもなれば、大変面倒な消しゴムを使う作業をせねばならなくなるし、構想も変わってしまうことだってままあるのだ。申し忘れたが、我がW社では原則副業は禁止なので、開始前に駐在の副社長フランクリン氏の了解も取ってあった、会社のことには触れないという条件はつけられたが。

手書きは如何にもしんどいなと思い始めた頃、就職して地方の工場勤務になった愚息が置いて行ったワープロがあったので、物は試しと使ってみた。簡単に書けた。と言うのも、戦後間もなく英語で話すことを教えられたGHQの秘書の方には、中学の1年生の私は英文タイプの打ち方を、教則本を使って仕込まれていたので、ローマ字入力なら何という事なくこなせたのだ。ワープロを使ったのは、W社をリタイアした後のことだった。

それを編集長に報告すると、直ちに切り替えて原稿をフロッピーデイスクに落として持参願いたいと変わった。即ち、手書きからの脱却した一大進歩である。とても書くことが楽になった。当時は定期的な連載の他にも業界の評論も寄稿し始めていたので、週に何回かは神田周辺にまで出かけるようになり、俗世界との接触も回復していた。ところが、である。

1990代の後半ともなると最早PCの時代であり、関連する方々の方からPCへの転換を強く勧められた。だが、当方は何時までこういう仕事をおまかせ頂けるのかの保証がるとも思えなかったし、70歳になってからPCの手習いをするとかや、年齢不相応の投資をする意義があるのかと抵抗してきた。事実、出版社との契約は終わっていたし、この私に何か新機軸のご依頼があるとは考えられなかったのだ。趣味としてもワープロで十分だと満足していた。

ところが世の中は予測不能なことが起きるもので、70歳になった時に言わば大変お世話になった編集長さんから突然「折り入って緊急の頼みがある」との電話が、急遽出向けば「週刊誌版の海外ニュースの翻訳を担当していた高齢の方が倒れて入院され、明日の原稿間に合わないので、お助けを」とのことだった。「義を見てせざるは勇なきなり」ではないが、尤もお不得手とする英文和訳の仕事であってもその場お引き受けしてしまった。

偉そうなことを言うなと言われそうだが、「長年英語の世界で暮らしていると、わざわざ日本語に直して考える作業はないで英語のままで考えて動いてきた。だがら、日本語に直すと拙劣な表現になることが多く、秘書さんには「社外に和訳して出す文書には手を出さないように」と止められていた。その私が和訳の仕事を引き受けたのだ。だが、事はそこで終わらなかった。原稿を持って帰宅したら、ワープロが壊れていたのだった。

編集長に直ちに連絡すると「ビックカメラに直ちに来てください。待ったなしです」と無情の宣告。有無を言わせずに東芝のノートブック型とプリンターを購入。「老後にそんな多額の出費は・・・」と躊躇うも「原稿料で直ぐに返済します」とアッサリと退けられた。帰宅して愚息を呼んで設定してもらい、直ちに「ワード」で翻訳し、教えられた通りに何のことかも解らずに「添付ファイル」にして編集長が指定したメールアドレスに送信。

よく考える前もないことだろうが、非常に無謀な試みである。私はPCには素も」如何なる多種多様な機能が備わっており、其れ等をそのように効果的に使うべきかなどは全く学習することなき、いきなり「メールも送れる」ワープロの代替として使い始めた野田ある、そででも、後になって検索の機能や色々と使えるとは和語ったが、おそらく今でもその持てる機能の1%くらいしか活用していないだろう。勿体ないことだ。

苦心惨憺した翻訳文を読んだ愚息は「何が書いてあるかサッパリだが、緊急事態では仕方があるまい」と一言。驚く勿れ、この仕事を10年続けたのだ。それが2013年の8月に2度目の心筋梗塞を発症し、何とか退院はしたが、その後の体調が一向に落ち着かず、苦しめられていたので、編集長とも相談の上、この仕事を80歳で打ち切る事で和解した。

1990年の原稿用紙に鉛筆で書き始めたときから数えれば23年も続いたのだ。鉛筆書きからワープロに替わり、次にノートブック型PCよとプリンターデになった。今は何代目かも解らないデスクトップのPCになって、外部向けに発表するのは、専らブログだけになってしまった。

だが、当人の戦いは未だ終わっておらず、らくらくスマートフォンですらも挿入したし、マイナンバーカードも訳もわからずに取得してマイナポイントを使わせてもらう恩恵にも浴している。ウエアーハウザーに移った1975年はテレックスのオペレーターにアルバイトの学生を使っている傍ら、クーリアサービスを使ってアメリカ本社までよく字には書類を送っていて驚かされた。それがファックスに変わり、当方がリタイアするとPCに切り替わっていた。

いまやこの1932年生まれの私でさえ、スマートフォンのSMSを使えるまでに成長したし、ここ最近はYouTubeで巨人の原監督が木っ端微塵に叩かれるのを楽しく読んでいる。でも、あの程度の批判ならば私は既に終わっていた。記者なんて言う連中は迂闊に何か読売の批判になるようなことを書くと所払いになる仕組みになっているようにしか見えないが、もうソロソロ改革しても良いだろうに。世の中は「チャットGPT」の時代だぜ。

Mwin Kampf

2023-04-21 09:49:46 | コラム
「我が闘争の記」である:

何を言い出すのかと思わせたとことで、このヒットラーの著作の題名を使った目的は達せられた。書き物をするのに、書く方式が自体と共に膠って苦戦したと言うことなのだが、それを、」気取って「Mein Kampf」としたまで。

当方は全く期せずして1990年4月から業界の専門出版社の月2回発行の専門誌に「エッセイ」の連載を引き受けたのだった。これは編集長さんが突如として持ちかけた話で、それまでに自分が書いた物が活字になって発行された経験は皆無だったし、第一に代金を頂戴して原稿を書いた経験もなかった。それにも拘わらず、何か天命のように感じて引き受けてしまった。無謀だったと思う。その際に初めてその出版社専用の原稿用紙を渡されてそれに書くのだと知った次第だ。

この世に数多おられる作家の先生たちは万年筆で書いておられるようだが、ずぶの素人も私は書き直すことを前提に考えて、鉛筆で書くことにした。編集長さんの提案は「何を書いてもう良い」だったので、ならばと、多少心得がある英語とアメリカのことにすると考えて、題名は「英語とEnglish」に決めた。1回目は確か我が国の英語教育では英語を教えてもEnglishを教えていないので、「英語で思うことを自由に話せなきなるにではないか」としたと記憶する。

今回話題にしたのは書き続けてきた内容の問題ではないのだ。誰かが原稿を書き、それが何人かの手を経て活字になり本になった世に出て行くまでの方法というか手段の変化を論じたいのである。この出版社で私が手書き手書いた原稿が世に出て行くようになると、一定の数の読者が読んでくださるのだ。その結果として、有り難いことに権威ある業界団体の広報誌からも連載のご依頼を頂戴した。すると、ここの原稿用紙の形式違うので戸惑ったりもした。

書く量が増えるにつれて、その執筆業は難しくなってきた。それは、よほど表現することを事前に確定してから取りかからないと、途中で構文を入れ替えることにでもなれば、大変面倒な消しゴムを使う作業をせねばならなくなるし、構想も変わってしまうことだってままあるのだ。申し忘れたが、我がW社では原則副業は禁止なので、開始前に駐在の副社長フランクリン氏の了解も取ってあった、会社のことには触れないという条件はつけられたが。

手書きは如何にもしんどいなと思い始めた頃、就職して地方の工場勤務になった愚息が置いて行ったワープロがあったので、物は試しと使ってみた。簡単に書けた。と言うのも、戦後間もなく英語で話すことを教えられたGHQの秘書の方には、中学の1年生の私は英文タイプの打ち方を、教則本を使って仕込まれていたので、ローマ字入力なら何という事なくこなせたのだ。ワープロを使ったのは、W社をリタイアした後のことだった。

それを編集長に報告すると、直ちに切り替えて原稿をフロッピーデイスクに落として持参願いたいと変わった。即ち、手書きからの脱却した一大進歩である。とても書くことが楽になった。当時は定期的な連載の他にも業界の評論も寄稿し始めていたので、週に何回かは神田周辺にまで出かけるようになり、俗世界との接触も回復していた。ところが、である。

1990代の後半ともなると最早PCの時代であり、関連する方々の方からPCへの転換を強く勧められた。だが、当方は何時までこういう仕事をおまかせ頂けるのかの保証がるとも思えなかったし、70歳になってからPCの手習いをするとかや、年齢不相応の投資をする意義があるのかと抵抗してきた。事実、出版社との契約は終わっていたし、この私に何か新機軸のご依頼があるとは考えられなかったのだ。趣味としてもワープロで十分だと満足していた。

ところが世の中は予測不能なことが起きるもので、70歳になった時に言わば大変お世話になった編集長さんから突然「折り入って緊急の頼みがある」との電話が、急遽出向けば「週刊誌版の海外ニュースの翻訳を担当していた高齢の方が倒れて入院され、明日の原稿間に合わないので、お助けを」とのことだった。「義を見てせざるは勇なきなり」ではないが、尤もお不得手とする英文和訳の仕事であってもその場お引き受けしてしまった。

偉そうなことを言うなと言われそうだが、「長年英語の世界で暮らしていると、わざわざ日本語に直して考える作業はないで英語のままで考えて動いてきた。だがら、日本語に直すと拙劣な表現になることが多く、秘書さんには「社外に和訳して出す文書には手を出さないように」と止められていた。その私が和訳の仕事を引き受けたのだ。だが、事はそこで終わらなかった。原稿を持って帰宅したら、ワープロが壊れていたのだった。

編集長に直ちに連絡すると「ビックカメラに直ちに来てください。待ったなしです」と無情の宣告。有無を言わせずに東芝のノートブック型とプリンターを購入。「老後にそんな多額の出費は・・・」と躊躇うも「原稿料で直ぐに返済します」とアッサリと退けられた。帰宅して愚息を呼んで設定してもらい、直ちに「ワード」で翻訳し、教えられた通りに何のことかも解らずに「添付ファイル」にして編集長が指定したメールアドレスに送信。

よく考える前もないことだろうが、非常に無謀な試みである。私はPCには素も」如何なる多種多様な機能が備わっており、其れ等をそのように効果的に使うべきかなどは全く学習することなき、いきなり「メールも送れる」ワープロの代替として使い始めた野田ある、そででも、後になって検索の機能や色々と使えるとは和語ったが、おそらく今でもその持てる機能の1%くらいしか活用していないだろう。勿体ないことだ。

苦心惨憺した翻訳文を読んだ愚息は「何が書いてあるかサッパリだが、緊急事態では仕方があるまい」と一言。驚く勿れ、この仕事を10年続けたのだ。それが2013年の8月に2度目の心筋梗塞を発症し、何とか退院はしたが、その後の体調が一向に落ち着かず、苦しめられていたので、編集長とも相談の上、この仕事を80歳で打ち切る事で和解した。

1990年の原稿用紙に鉛筆で書き始めたときから数えれば23年も続いたのだ。鉛筆書きからワープロに替わり、次にノートブック型PCよとプリンターデになった。今は何代目かも解らないデスクトップのPCになって、外部向けに発表するのは、専らブログだけになってしまった。

だが、当人の戦いは未だ終わっておらず、らくらくスマートフォンですらも挿入したし、マイナンバーカードも訳もわからずに取得してマイナポイントを使わせてもらう恩恵にも浴している。ウエアーハウザーに移った1975年はテレックスのオペレーターにアルバイトの学生を使っている傍ら、クーリアサービスを使ってアメリカ本社までよく字には書類を送っていて驚かされた。それがファックスに変わり、当方がリタイアするとPCに切り替わっていた。

いまやこの1932年生まれの私でさえ、スマートフォンのSMSを使えるまでに成長したし、ここ最近はYouTubeで巨人の原監督が木っ端微塵に叩かれるのを楽しく読んでいる。でも、あの程度の批判ならば私は既に終わっていた。記者なんて言う連中は迂闊に何か読売の批判になるようなことを書くと所払いになる仕組みになっているようにしか見えないが、もうソロソロ改革しても良いだろうに。世の中は「チャットGPT」の時代だぜ。