性被害の訴訟が大きく報道される時代:
昨日はネットと週刊新潮の記事を基にして、サッカー日本代表の伊東純也の問題を採り上げた。「新潮社の記事のように真実だったら、本当に困った事だ」と言っておくべきだったのかも知れない。なぜなら、伊東純也は弁護士を立てて事実ではないと反訴して、大阪の警察は受理したと報道されている。また、サッカー協会は(当然の擁護の姿勢だろうが)代表から離脱させないと決定したそうだ。協会のこの姿勢の発表はやや遅いかなと感じた。
伊東純也の問題と同様に、文藝春秋社による先例のような松本人志の件も「事実無根でーす。戦います」と全面的に争う姿勢だ。文藝春秋社も新潮社もわが国を代表するかのような出版社であるから、その会社の名誉にかけても充分に取材して自信を持って記事にしたのだろう。でも、決着するまでは解らない事で、何れかが真実ではないのかも知れないし、両方とも誤りではないのかも知れない。
私がどうしても気にしてしまう事は「もし、新潮社の記事が全面的に正確だったとなった場合に、ナショナルティームの一員に選ばれた程の有名選手が、身を律する事が出来ていなかった事になる」点なのだ。松本某たちのように芸の世界にいる者たちが幾ら飲んで遊ぼうと勝手だ。だが、国を代表するティームの選手ともなれば、マスコミに狙われるのである。その点を昨日は故篠竹幹夫監督の「行いを注意せよ」と部員たちに厳重に指示していた指導方針を例に挙げておいた。
週刊新潮が取り上げたようにサッカーの日本代表ティームの一員が深夜まで女性たちと飲んでいたのならば、私は自己管理の悪さと自覚の欠如があったので言語道断であると責める。そして、大谷翔平の徹底した自己管理を見習えと言いたくもなるのだ。
私の伊東純也というサッカー選手の評価は「松木安太郎が褒めそやす程でも、マスコミが持ち上げられて然るべき程の域にはもう一歩も二歩も残っている」なのである。私が常に指摘してきた事がある。それは「マスコミは一寸名が出てきた選手を過剰に評価し且つ褒めそやすと、その持ち上げた報道が仮令直接選手にまで伝わっていなくても、当該選手が恰も増長したかのようの振る舞いをして、落ちこぼれた例が多い」である。
この点はマスコミの無責任な姿勢よる過剰な報道だと批判したい。伊東純也がこのようなマスコミの無用な持ち上げ方の報道に悪影響を受けていないと良いのだと思っている。