新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月15日 その2 テレビ局の英語力が一寸気になったので

2024-02-15 09:41:59 | コラム
“nasty”の解釈が間違っていた:

今回は偽らざる所を言えば「揚げ足取り」の誹りを免れないかのかも知れない事柄だ。

この度Dodgersに目出度く移籍した山本由伸の投球練習を見ていた同僚が、“Nasty!”か“Real nasty.”と言っていたように聞こえた。テレビ局が付けた字幕は「エグい」か「えげつない」だったのは腑に落ちなかった。これは“nice”の反対語のように捉えられている場合が多いと受け止められているので、「醜い」か「不潔」か」「卑劣な」のような意味で使われる普通だが、あの場合は「物凄い投球だ」というような感嘆の表現だと思って聞いた。

ここで注意しておく必要があることは「彼ら白人(という表現にするが)たちは社交性に長けているので、あのようなテレビカメラも音声もいる公の場面では先ず絶対と言って良い程社交辞令的な言い方をするように躾けられている。この気配りの仕方は我々には中々真似られない習慣(異文化)だと認識している。即ち、あの投手は新加入の同僚(今では「ティームメート」が一般的だ)をテレビカメラの前で賞賛したのだと思って聞いた。

この場合のnastyは決して「えげつない」でも「エグい」という意味ではないのだ。ジーニアス英和には8番目に「投球などが『恐るべき』、『強力な』、『並外れた』、『凄い』」と出てくる。この前にrealと付けたのだから大讃辞だったのだ。額面通りに解釈して良い褒め言葉だろうが、彼等の世界に慣れているので、つい「巧いこと言いやがって」と「お世辞では」と思いたくなってしまう。

ここでテレビ局の英語力に疑問を呈したくなる。彼等が外国の大統領のような要人のスピーチを流す時に出てくる訳文は、とても良くこなれていて解りやすく、何時もその高度な英語力にも感心している。だが、嘗てはトランプ大統領の失言とも言いたい“shit hole”(=汚い場所)を「野外便所」としたようにswearwordやslang等の勉強不足を見せていた。今回も辞書をキチンと見れば、このような口語的/俗語的表現を見当違いに訳さずに済んだはずだ。

私はこのような両極端とでも言いたくなるような、チグハグな英語の解釈をする能力のバラツキが何に起因するのかが良く解らないのだ。おかしなカタカナ語が粗製濫造された時などは、必ず「彼等カタカナ語の製造業者たちは英和辞典すら持っていないのか、または引く手間すら省くのか」と皮肉ってきた。今回のnastyにも同じ事を言いたい。もしかすると、見事で綺麗な訳文は通信社から送られてきたものを放映しただけなのかな。


少なからず驚かされた事

2024-02-15 08:02:40 | コラム
佐々木麟太郎君のスタンフォード大学進学:

既にNPBにも国内の大学にも進まず、アメリカの大学を選んで野球を続けると表明したと報じられていた。正直なところを言えば「本気で言っているのか?!」と驚愕させられていた。だが、そう言うからには「我が国とアメリカの大学の何処がどのように違うのか」を充分に事前に調査した上での決意表明ならば良いのだが、そうでなかった場合には、古き良き時代の表現を借りれば「暴虎馮河」の勇気にならなければ良いのだがと受け止めた。

昨日辺りから、その進学先がカリフォルニア州の有名私立大学のスタンフォードだと報じられて、またもや驚かされた「凄い大学を選んだものだ」と。俗に「西海岸のハーバード」とも言われている名門である。

我が国の大学との相違点:
これまでに何度も取り上げたが、アメリカの大学での教え方乃至は勉強の進め方は「教えられ事だけを追いかけているのでは評価の対象とはなり難く、自分から積極的に勉強や研究の範囲を広げていくことが重視される」と聞いていた。換言すれば「受け身の勉強ではなく、こちらからから能動的に挑んでいく姿勢が肝心である」という事。それだけではなく「自分から積極的に意見を表明し、討論(debate)の能力も必要となる」のである。

さらに、運動部に所属する者に求められるのは「立派な成績を維持する事」であり、落とせばレギュラーメンバーから外されることがあるし、「大学生として当然のことで、授業にはキチンと出席する事も必須条件」なのである。あるアメリカの強豪大学でコーチを経験した人が言うには、常に部員たちに「授業に必ず出ろ」と督励するのも仕事のうちだったそうだ。要するに「文武両道」が厳しく求められるのだ。

授業料を含む学費も我が国とは大きく違うと思う。佐々木君が選んだ(のか選ばれたのか知らぬが)スタンフォード大学は上記のように「西海岸のハーバード」とも言われている優れた私立大学なので、その学費は年間に1,500万円には達するだろうと推定する。この学費を4年間負担するとは容易な事ではないだろう、奨学金でも取れれば話は別だが。その奨学金とても卒業後の返済を要するのであれば、これもかなりな負担となる。

英語力の問題:
佐々木君が実際に入学するのは来る9月であるから、未だ半年以上の準備期間が残されている。また、アメリカ進学を目指す以上、高校在学中にも勉強を開始していたと想像も出来る。但し、アメリカ人の英語での講義を聴いてノートを取り、理解し、膨大な量の宿題やリポートを恙なくこなし、試験で十分な点数を取り、教授や同級生とdebateを展開し、出席点と平常点まで付けられる仕組みに慣れていくのは容易ではないと思う。

私は社内のセミナーや会議で経験した事は「慣れてしまうまでは、アメリカ人の異常に早口に聞こえる話し方についていき、話の内容を間違いなく理解するのはかなり負担になっていた」のである。私の英語力でも、海外駐在10年有余のウエアーハウザージャパンの副社長だった実力者のYN氏も本社での1週間のセミナーで付いていけなくなり力不足を思い知らされたと恥じ入った事があった。

別な言い方をすれば、当たり前の事で教授たちは「付いてこられない学生がいるはずがないという前提」での講義をしているのだし、討論をさせるのである。特にdebateの場合では発言がなければ「その場にいなかった」という厳しい判定となるのだ。佐々木麟太郎君が如何なる家庭環境の下で育ち、高校での英語の成績が優秀だったとしても、native speakerたちの中に入れば、話は変わってくると思う。

運動部:
我が国のように長時間の練習ではなく、参加する学生たちはトレーニングのコーチに指示された通りのウエイトトレーニングなり何なりを自分の時間内に消化しておき、全体練習に問題なく参加できるよう自分で体力と体調を整えておくのがアメリカ式。聞く限りでは「アメリカのコーチは求められない限り指導はしないし、細かいことまで口出しはしない」のだそうで、飽くまでも個人の意志で体調と技術を整えておかねばならない世界だ。

異文化の世界:
上記のような条件は「会社」というビジネスの社会でも同様で「個人の主体性」が重要な要素なのである。私は愚かにも「これほどの文化の相違があるとは知らず、即戦力と評価されて39歳で転進したのだ。異文化の世界に入って、その違いに充分に合わせられるまでには10年近くも費やしていた。採用した側は「何もかも承知して入ってきた」として使うのだから、順応できるまでは異文化の勉強と、我が国との比較検討の日々だった。

私は39歳にしての転進だったが、佐々木麟太郎君は未だ20歳前だろうから柔軟性があるし、環境の激変にも対応できるだろう。私が知り得た範囲内にも地方の高校を出た後でアメリカの大学に進み、現地で就職しても問題にならなかった英語の能力を備えた人が何名かいた。中にはPh.D.まで取得して銀行のvice presidentにまで任じられた実力者もいた。私は最初の課題の一つに「異文化に慣れる」があると思う。佐々木麟太郎君の健闘を祈ろう。