新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私はアメリカを体験してきた

2024-02-23 08:46:15 | コラム
アメリカの文化を語ろう:

昨日も「日本とアメリカ合衆国の企業社会の間の相違」を取り上げた。これは、在職中の1990年代から機会があれば「私にしか体験も見聞も出来なかったと信じている内側に入って見たアメリカと、我が国との間にある何ともしようがない文化(ある国乃至は集団の言語・風俗・習慣と思考体系のこと)の相違」を論じてきた。「アメリカとはこういう国なのですよ」と一所懸命に語りかけてきたつもりだった。

だが、何時ものことでこの私流の「日米間の文化比較論」は、ブログではある程度のアクセスしかいただけないのだ。昨日も、その点は覚悟して、では大袈裟かも知れないが、折角22年以上もアメリカの社会の内側で知り得た事柄を書き残して、我が国と何処がどのように違うのか、何故彼等はあのように考え、行動するのかを論じれば、諸賢が「アメリカとは」を考えて頂く時に、その資料か叩き台にでもなれば幸甚であると思っているのだ。

何故、このような比較論を書き続けるのかと言えば、1990年に本部でプリゼンテーションをしたように「日本とアメリカでは相互に理解不足により要らざる誤解か誤認識というか齟齬というか軋轢が生じている場合が多いのではないかと思うから」なのである。尤も、残念ながら私が指摘する相違点を認識していようといなかろうと、お互いに日常生活には何ら支障が無いような問題でもあるのは間違いないと思う。だが、書き残しておこうと思うのだ。

こういうことを私のような視点から特に取り上げて論じておられた学者、大学教授、ジャーナリスト、有識者(専門家)、政治家もおられなかったと思う。私のような視点から語るアメリカには違和感を持たれる方が多いだろうくらいは承知して論じ且つ語ってきた。それは、私は図らずもアメリカの大手紙パルプ林産物業界の大手2社に職を得て、世界でも最も難しい市場であると認識されている日本向けの輸出に、アメリカの会社の社員として20年以上も携わってきた経験を分かち合えればと念じているからだ。

これは普通の日本の会社に勤めておられるか、アメリカに駐在されたか、大学に留学されたことからでは知る機会がないというか、しようと思っても出来ない経験だったと信じているからだ。いや、誰にでも経験できることではなかっただろうと自負している。

そこで、今回はこれまでに余り取り上げてこなかった実際に見てきた異文化の実例を取り上げて比較していこうと思う。

私は20年以上もアメリカ人の社会の中で過ごしている間に、中流から世に言うアッパーミドルかそれ以上の人たちの家庭の中にも、同僚としてかあるいは部員(部下)として、準家族扱いかお客様として入っていく機会を得た。難しい言い方をしなければ、家族のように親しく付き合って貰えて、家族と食事をすることもあれば、彼等に請われて共にスーパーマーケットまで材料を買いに出て、一家揃ってすき焼きをしたこともあった。

すき焼きは家族全員に楽しんで貰えたが、奥方からはクレームが来た「今後あのように煙が出て台所を汚すような料理は二度と作らないようにしてください」と言って。彼等の台所には堂々たるアッパーミドルクラスの家でも、我が国ならば何処に行ってもあるような大きな俎板、各種の包丁などは準備されていないのである。即ち、サッと電子レンジ(electric oven)でチンするだけの調理法が多いのだから。

副社長が遠来の最大の取引先の常務さんを自宅にお招きして、アメリカ式では最大のお持てなしである夕食に招待した時のことだった。奥方が調理するところはダイニングルームからも丸見えだった。副社長が庭で焼き上げたステーキに添えるジャガイモを、奥方がチンする場面まで常務さんには見えていた。常務さんは感動する前に驚かれて「こんなお持てなしで良いのか」と、異文化を見守って帰国された。

これには後日談があって、次に副社長が来日した時に常務さんは自宅に招待されて、純日本式に自宅で調理された山海の珍味を並べ立てられて歓待されたのだった。和食、特に生ものが苦手だった副社長は最大限の努力で日本食と会話を楽しむ夜とした。

視点を変えよう。日本ではアメリカだけではなく、白人と言うべきか、アメリカやヨーロッパの世界ではごく当たり前の「挨拶の方法としてkiss」がある。頬でも口でも、誰でも見たことがあるように行われている。ところが、この習慣は我が国の文化には馴染んでいないようで、キスは恰も性愛の第一段階の如くに看做されていて「二人の間でのファースト・キスは何時」などと尋ねてしまうのだ。彼等の家庭の中にいれば家族の間で朝から晩まで実行されているのだ。

私はそういう異文化の世界に馴染むのには、人知れぬ苦労というか度胸を養わされた。それは、工場の事務方に長い付き合いがあった女性がいた。工場に行くたびに事務方の彼女も打ち合わせがあるので、ごく当たり前と思って先ず握手から入って行った。すると、何年か経ってから突如として「もう好い加減に他人行儀は辞めて、チャンと普通にハグしなさい」と抱きつかれてしまった。「ファースト・ハグ」で、恐ろしい程の異文化との遭遇だった。

激しい動悸が来たし、どうしようかと腑抜けになったかのような感覚にとらわれていた。何が言いたいのかと言えば、こういうアメリカ人の中では当たり前の礼儀は、私にとっては異文化そのものだったという事なのだった。これに慣れないと彼等の仲間として認識されないことがあるのかというレッスンだった。

こういう異文化との遭遇ではキリスト教関連の経験も取り上げておこう。2000年の4月にリタイア後に初めて本部を訪問した時のことだった。長年仕事での付き合いがあったLindaが、復活祭の日曜日にミサに行こうと誘ってくれた。信者であるかないかなどは問題ではないし、終わった後に実家の両親と夕食会があるから参加してはと招待された。感謝して参加した。

恐る恐る勿論プロテスタントの教会に生まれて初めて入った。カトリックとは違って新教は形式にとらわれないのが特徴と聞いていたが「どう致しまして」で、誠に荘厳なミサで圧倒された。バチカンでサン・ピエトロ大聖堂に一歩踏み入れた途端にその何が何だか良く解らなかった余りの荘厳な雰囲気に圧倒されて、信者でもない私が涙を流していたのと同様な感覚で、気が付けば涙が流れて止まらなかった。

儀式終了後に全員が立ち上がって“Happy Easter!”と言いながら、誰彼となくハグし合うのだった。これが宗教の持つ何とも説明を付けられないところで、ハグの相手も私も感動(なのだろうか)涙を流して主の復活を祝っていたのだった。「信ずる者は救われる」と言うが、信者たちはこういう救いを求めているのかなと考えていた。

このようにプロテスタント(一神教)のミサに参加する機会を与えられて、初めてアメリカで「キリスト教の儀式」に接して、何がどう具体的に違うのか不明だったが、我が国との違いを痛感できた一時だった。