新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本代表ティームの選手たは品行方正でなければ

2024-02-01 07:34:41 | コラム
伊東純也よ、お前もか!

彼、伊東純也が週刊新潮にその夜の部の不行跡を捕捉されたとのニュースは昨夜見てあった。「そうと知ったから言う」形になったが、私は松木安太郎が褒め称える彼の足の速さだけは承知していた。

だが、森保監督式の一軍(なのだろう)に定着するにつれて、この人に何と言って表現して良いのか解らない無形の不安を感じていた。その不安がサッカーの選手としてなのか、何か他の事なのかは不明だったが、その時点ではまさか不品行を取り上げられるとは閃いて来なかった。

今日(コンニチ)、世に言う「文春砲」のみならず、日刊の読売等の新聞社を除く多くの報道機関が、あらゆる業種の有名人、著名人等々の世間に顔も名前も知られた人たちの後や跡を追って、特ダネを狙っているような時代になってしまった。

最近の例では週刊文春による芸人・松本人志の案件が典型的な例だと思う。まさか、我がサッカー界から週刊新潮に話題を提供する不心得者が出るとは、情けなさ過ぎて言うべき言葉を知らない。

昨夜見たニュースが気になってはいたし、またもや何とか言うネットに放映権を獲られて中継がなかったので、今朝は新聞のスポーツ欄を真っ先に見た。代表ティームがバーレーンに勝ったかどうかよりも、伊東純也が出ていたか否かが気になっていた。起用されていなかった。さらに週刊新潮の広告も見ると、特集記事になっていた。森保監督の心中は察するに余りあると思った。

彼に対する「無形の」と言うかモヤモヤした不安感がこういう形で表れたのだったならば、陳腐な表現で「残念至極」しか思い浮かばなかった。さらに何という無警戒であり、一国の代表ティームで重要な選手として起用されるところまで、サッカーの無名な大学からのし上がってきたのに、思慮分別に欠けた行動をしたアホさ加減には呆れかえっていた。

その昔のNPBではなくてプロ野球と呼ばれていた時代に、野球界の名監督の誉れ高かった三原脩氏は「野球場でキチンとプレーしてくれていれば、グラウンドの外で何をしていても問わない」と公開の場で言われた。伊東純也はまさかこの三原氏の言われた事が現代にも通用するとでも認識していたのではあるまい。森保監督は選手たちに「ピッチを離れた時の私行も十二分に注意せよ」とは言い渡してなかったのだろうか。

大谷翔平は夜になって飲みに出ないどころか、外食にも出て行かず、仲間の会食の誘いも断って体調の管理に万全を期し、言うなればストイックな生活を維持して身を慎んでいると報道されている。

私はこの体調管理方針を聞いて「プロの運動選手として当たり前の自己管理であって、特に取り上げて賞賛する必要もない」と受け止めた。彼はスキャンダル報道とは無縁であると思う。伊東純也は大谷の自己管理をどう考えていたのだろう。

日本大学フェニックスの故篠竹幹夫監督は学生たちに「お前らは常に報道機関に注目されている存在だと自覚して、グラウンドを外れた時にもその行動に十分に注意せよ」と常々言い聞かせておられたそうだ。

篠竹幹夫監督の場合には対象は学生である。サッカーの日本代表は思慮分別があるべき社会人の集まりだ。伊東純也の行動が報道通りだったのならば「論評に値しない」と決めつけたい。このような場合に協会は「監督の管理不行き届き」は問題にするのか?