新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本とアメリカ合衆国の企業社会における文化の違いを考える

2024-02-22 09:23:13 | コラム
日本とアメリカの間には文化(言語・風俗・習慣と思考体系)に違いがある:

導入部:
1972年8月に未だ39歳の時に、アメリカ紙パルプ産業界の上位5社の中に入っていたMead Corp.に日本駐在のパルプマネージャーとして入社したのだった。その頃には純情にも(「naïveにも」でも良かったかも知れない)日本とアメリカの企業社会には何ともしようがない「文化の相違がある」などとは全く意識せずに、ただひたすらこれから果たしていくべき任務と仕事の重大性だけを意識して、何として採用された期待の大きさに応えようとだけ考えていたと思う。

だが、1990年に「Japan Insight―日本とアメリカの企業社会の間に存在する文化の相違」と題したプリゼンテーションをウエアーハウザーの本部で試みるまでには18年もかかっていたのだった。それほどの年月を費やして理解し認識できたことは「例えて言うならば、日本とアメリカの企業社会ではそれぞれのOS(operating system)が別種であるか、全く違っている」のでありながら、双方で「相手国のOSもこちらと同じはずだから、有無相通じるべきだ」と思い込んでいる点なのだった。

そこで、本論に入る前に具体的な例を挙げて「何処がどのように違っているか」を述べていこう。

4年制の大学の新卒の採用:
日本では当たり前のことである「入社試験をして新卒者を毎年定期的に採用して、その会社の方針で教育していく形」は「アメリカ、特に製造業にはそういう制度も慣行もない」という違いがある。尤も、金融/証券界はそうではないようであるが。私が知り得た範囲内では、4年制の大学の新卒者(BA)は先ず中小企業に就職し、そこで何らかの優れた手腕を発揮できるよう努力して、大手製造業から勧誘を受けるか、自ら売り込むか、人材会社に登録しておく等々の手法で、我が国で言われ始めた「job型雇用」のチャンスを待っているのだ。

MBAの学歴:
「最早、この学歴はある程度以上の規模の会社では、生き残れるか否かの分かれ目となる重要な資格」になっていると聞いている。今ではMBAを取得するビジネススクールに入学する前には新卒者(BA)は4年間実務社会での経験が求められているので、金融/証券界や会計事務所、コンサルティング事務所等をその足場として就職する例があると聞いている。

なお、アメリカの会社で上記のような採用のシステムがあり、仕事の担当分野等々全てが個人単位であるのだから、「同学年の同期入社」も「同じ部や課の中での同僚との比較による出世競争」もあり得ないことになる。1980年代までは有名私立大学のMBAなどは所謂「スピードトラック」に乗って出世街道をひた走る為の有力な武器だったのだが、21世紀の現在ではMBAは生存する為の資格に変わってきたのだ。

日本とアメリカの教育(勉強の仕方)の違い:
ここにも日本とアメリカとの間には大きな違いがあると言える。アメリカの大学に行けば「膨大な量でとても来週の授業までに間に合わせられない」と諦めてしまうような宿題や、リポートの提出等が求められ、平常点、出席点、試験の成績、debateでの発言等々に成績を単純に合計し割り算して判定する採点方式であるのが日本との相違点であろう。だが、問題はこれだけに止まらない具体例を挙げおこう。

ウエアーハウザー本社には“Market & Economic Research (M&ER)というアメリカ全土に名を知られたエコノミストのLynn Michaelis率いる強力な「経済調査部」があった。そこにICUからUCLAのMBAを持つエコノミストのMU君(日本人である、念のため)がいた。私も出張の度に時間が許せばU君から色々と勉強させて貰っていた。そのU君が我が社でも度々実行されたリストラにかかって整理された。

「何で君が」と尋ねると「自分と同僚のアメリカ人の2人の何れかが整理対象となっていた。だが、自分が負けるとは読めていた。何故なら、彼よりも英語の能力が劣るから」と、切られた理由を解説してくれた。U君は「それでなくても我が国とアメリカでは教育の仕方と言うか教え方が違うので、その環境で小学校から育っていないと勝ち目は薄い」とも言うのだった。

彼は何処か違うのかと言えば「UCLAのビジネススクールに入って周りを見渡せば、アメリカ人の院生たちがそれほど頭脳明晰ではない者ばかりで、これならば充分に優等生でマスターを取れると思った」のだそうだ。だが、実際に授業が始まると彼は誤解であり誤認識だったと徐々に解って、自分には勝ち目がないのでは無いかと見えてきたそうだ。彼は「そのアメリカ式に慣れて卒業はしたが、成績は劣等生の部類だった」と悔やんでいた。

それは「彼等は日本式の教えられたことだけを復習し、さらに予習をして試験で良い成績を挙げる方式ではなく、自分から能動的に勉強と新規の研究課題を見出してそれに挑んでいくアメリカの方式で育ってきている。それに対して、我々は言うなれば受動式の受け身の勉強方式で過ごしてきたので、彼等と比べて能力が劣っていなくても、劣勢になってしまうのだ」と文化の相違を解説してくれた。彼は「負け惜しみだが」と言って「始めからアメリカで勉強していたら負けなかったのに」と回顧して見せた。

“文化の違いという名の凸凹道を貴方が平坦な道路だと思って歩けるように綺麗にならして上げるのが私の仕事”
私が生涯最高の上司と呼んで来た10歳年下の副社長兼事業部本部長(当時)と私自身、それに事業部がこの日本市場で成功するためには、「企業社会における文化の違いを如何にして征服して不要な摩擦を起こさずに揺るがぬ取引関係を確立するか」が、私に与えられた最大の課題の一つであると認識していた。だからこそ「文化の違いとは如何なるものか」を認識することに神経を集中した。私が語る事柄はその努力の成果であると自負すると共に、もしかすると日本とアメリカは相互に本当に理解し合う時が来ないのではなどと本気で心配している。

日本とアメリカ相互の理解・認識不足:
日本とアメリカの文化に明らかな違いがあることに対して、最早戦後70年以上も経っているのに、日米相互に認識不足であるのはどうしたことだろう?思うに、圧倒的な大多数の人は「アメリカのことは先刻承知だ。何もことあらためて聞かされることではない」と認識しておられるだろう。日本では未だに「アメリカとは服装がキャジュアル(カタカナ語は「カジュアル」)で、言葉遣いもスラングが多く、粗野な人が多く、自由で、誰でも出自に関係なく努力さえすれば報われて、出世も経済的な大成功も可能な国だ」と信じておられると真顔で言われた事もあった。偽らざる所を言えば「矢張りアメリカといえども知られざる国なのだな」と、言うなれば安心して気落ちしたかの感があった。

その背景には我が国の、英語等の外国語によるによる「日本とは」等の情報発信量がほとんどゼロに近いことがあるだけではなく、「アメリカとは」という情報の受信も誠に不十分であったと確信している。一例を挙げてみれば、2007年の第一次安倍内閣の総辞職の報道はアメリカではUSA TODAY紙ではベタ記事、CNNのニュースでは一度だけという状態だった。彼等の日本に対する関心の度合いが解る扱い方だった。結論的に言えば、日本とアメリカ政府が相互に時機を逸することなく正確で詳細な情報の発信の努力をすべきなのだが、この辺りは報道機関の責務ではないのか。

 私は1990年以来、機会ある事に書き物と講演と、さらに96年からはラジオ放送で、同盟国間の相互理解と正確な認識の必要性を説いてきた。アメリカ側の対日本の理解度などはかなりお寒いものであると、22年有余の外資暮らしで十分承知していた。私は故田久保忠衛氏が指摘したような「我が国はアメリカの妾」などではなく、企業社会では「親会社対子会社」のように見ていると解釈していた。

だからと言って、日本側の「アメリカとは」との理解が十分だったとも思えない。この度の佐々木麟太郎君のスタンフォード大学進学についてのテレビの報道を見ていると、彼等は知っていて言わないのか、知らずに言うのか不明だが「よくもそんな事が言えるものだ」と呆れさせられているほど、実態を知らないかのようなのも困ったことだと思う。

 その相互不理解振りたるや「長年連れ添った夫婦間の相互理解の認識と理解不足よりも酷い状態」と、多くの大学で国際法を教えておられたTY先生が喝破された。私如きには到底思い浮かばなかったような至言であると思って拝聴した。

 本心を言わせて貰えば、私の文化比較論の主張の如きものが未だに役に立つようでは、我が国のアメリかに対する認識不足が浮き彫りになって余り宜しい事ではないと思うのだ。だが、「相互の認識と理解不足の状態ではない」と思っておられる方が多いようなのも困ったことではないか? 私の経験上からも言えるのだが、アメリかには平然と「日本は中国の一部では」などと言う人たちが今でもいるのだ。

結び:
以上を「序論」として、今後も何とか機会を捉えて昭和20年から習い覚えた英語と実際の経験を活かして「日本とアメリカの文化の相違」の各論を取り上げていこうと思っている。

 何れにせよ、ここに記した事柄は昭和26年(1951年)に入学した上智大学で学んだ文化の相違点と、日本とアメリカの紙パルプ・森林産業界の会社に22年も勤務した経験に加えて、1994年1月末でのリタイア後から2007年までの多くの職歴と、在職中にアメリカのアッパーミドルとそれ以上の人たち及び彼等の家庭にも入って感じ取り更に見聞した文化の相違に基づいているのであるが、飽くまでも比較論であってアメリカ礼賛ではないと申し上げておく。