日本シリーズの第6戦を見ての感想(彼らは楽しんでいたのか):
近頃の若きスポーツ選手の精鋭たちは、オリンピックを筆頭とする世界的な大きな大会に出る前に堂々と「楽しんできます」という決意を表明する。そして、立派な成績を挙げて帰ってきて「楽しかった」と平然として感想を述べる。記憶違いでなければ、あの過ぎしオリンピックでアメリカに負けて準優勝(私はメダルの色で表現するのは好みではないのだ)となった女子のバスケットボール選手の中に「(負けても)楽しかった」と平然と言った者がいたのには「時代が変わったのだ」と痛感させられた。「試合とは楽しむものらしい」のだ。
ところが、である、一部の外国人選手たちを除けば、そういう年齢層にある者たちが日本シリーズの優勝を目指して必死の勝負をしていた昨夜の第6戦などは「如何にも我が国の選手たちらしい、何としても勝たねばならないという生真面目さと悲壮感漂う、見ている方も緊張を強いられかねない、彼らは何か楽しむどころではなくてさぞかし辛かっただろう」とイヤと言うほど感じさせられた5時間ほどだった。スワローズに勝たせてやりたいと言ったあった私ですら「どちらにも負けさせたくないな」と、引き込まれた野球だった。
昭和23年(1948年)という今を去ること73年もの昔に、国民体育大会の高校の部のサッカーで、決勝戦で負けた経験がある私からすれば「勝負とはあの昨夜の野球のように必死になって勝とうと努めるべきものであって、楽しむという観念からはほど遠いものであるとしか認識できない」のである。そこで思い当たったことは「現代の若者たちは我々の時代のような精神主義の時代の子ではないのであり、近代化された訓練の下で育ったので、技術的には我々の頃のような低次元にはないので、楽しむという境地に達しているのでは」なのだ。
そこで、昨夜の試合を別の角度から振り返ってみよう。私の目には「この試合に勝って日本一になろう」というスワローズの直向きさと、「そうはさせない。何としても第7戦にまで持って行こう」というバッファローズの懸命さの激突だったと見えた。その直向きさと懸命さのために、両テイームともカチカチとなった為か、守りに全精力を集中していたので、攻める方が上手く行っていなかったように見えた。
その辺りをフットボールに例えてみれば、双方のデイフェンステイームが鉄壁の守りをするので、オフェンステイームは何をやっても通用せずに、わずかに相手のデイフェンスの小さなミスに助けられてフィールドゴールを一本ずつ取れただけで、タイブレークに持ち込んだのだった。そして、ここでもバッファローズのバッテリーがパスボールという失策を演じた為に、代打の専門家の川端のポテンヒットになって負けてしまったのだった。結局は「ここという時に失策をしてしまったバッファローズの方が弱かった」との結論になるのだ。
先ほどのTBSの張本勲の「喝」の時間に出た中畑清は「この意リーズは良い試合ばかりだった」と言っていたが、確かにその通りだとは思う。だが、両テイームとも「勝たねば」という緊張感に苛まれたのか、あるいはデイフェンステイームの代表である山本由伸や奥川恭伸や高橋奎二が好投しすぎた所為か、華々しい打撃戦にならなかったのが、観客としては残念だった。なお、最後に一寸だけ自慢をすれば、私はMVPには迷わずに中村悠平捕手を選んでいた。
近頃の若きスポーツ選手の精鋭たちは、オリンピックを筆頭とする世界的な大きな大会に出る前に堂々と「楽しんできます」という決意を表明する。そして、立派な成績を挙げて帰ってきて「楽しかった」と平然として感想を述べる。記憶違いでなければ、あの過ぎしオリンピックでアメリカに負けて準優勝(私はメダルの色で表現するのは好みではないのだ)となった女子のバスケットボール選手の中に「(負けても)楽しかった」と平然と言った者がいたのには「時代が変わったのだ」と痛感させられた。「試合とは楽しむものらしい」のだ。
ところが、である、一部の外国人選手たちを除けば、そういう年齢層にある者たちが日本シリーズの優勝を目指して必死の勝負をしていた昨夜の第6戦などは「如何にも我が国の選手たちらしい、何としても勝たねばならないという生真面目さと悲壮感漂う、見ている方も緊張を強いられかねない、彼らは何か楽しむどころではなくてさぞかし辛かっただろう」とイヤと言うほど感じさせられた5時間ほどだった。スワローズに勝たせてやりたいと言ったあった私ですら「どちらにも負けさせたくないな」と、引き込まれた野球だった。
昭和23年(1948年)という今を去ること73年もの昔に、国民体育大会の高校の部のサッカーで、決勝戦で負けた経験がある私からすれば「勝負とはあの昨夜の野球のように必死になって勝とうと努めるべきものであって、楽しむという観念からはほど遠いものであるとしか認識できない」のである。そこで思い当たったことは「現代の若者たちは我々の時代のような精神主義の時代の子ではないのであり、近代化された訓練の下で育ったので、技術的には我々の頃のような低次元にはないので、楽しむという境地に達しているのでは」なのだ。
そこで、昨夜の試合を別の角度から振り返ってみよう。私の目には「この試合に勝って日本一になろう」というスワローズの直向きさと、「そうはさせない。何としても第7戦にまで持って行こう」というバッファローズの懸命さの激突だったと見えた。その直向きさと懸命さのために、両テイームともカチカチとなった為か、守りに全精力を集中していたので、攻める方が上手く行っていなかったように見えた。
その辺りをフットボールに例えてみれば、双方のデイフェンステイームが鉄壁の守りをするので、オフェンステイームは何をやっても通用せずに、わずかに相手のデイフェンスの小さなミスに助けられてフィールドゴールを一本ずつ取れただけで、タイブレークに持ち込んだのだった。そして、ここでもバッファローズのバッテリーがパスボールという失策を演じた為に、代打の専門家の川端のポテンヒットになって負けてしまったのだった。結局は「ここという時に失策をしてしまったバッファローズの方が弱かった」との結論になるのだ。
先ほどのTBSの張本勲の「喝」の時間に出た中畑清は「この意リーズは良い試合ばかりだった」と言っていたが、確かにその通りだとは思う。だが、両テイームとも「勝たねば」という緊張感に苛まれたのか、あるいはデイフェンステイームの代表である山本由伸や奥川恭伸や高橋奎二が好投しすぎた所為か、華々しい打撃戦にならなかったのが、観客としては残念だった。なお、最後に一寸だけ自慢をすれば、私はMVPには迷わずに中村悠平捕手を選んでいた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます