新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

あれは「ストレス」ではない「フラストレーション」だ

2020-03-19 08:20:43 | コラム
メデイアの言葉の誤用を責める:

どうして彼等はこれほど不勉強で無知なのかと思う。彼らの言葉の誤用は児童生徒たちに「一斉休校の為にストレスを感じるので」などと言わせている。子供たちがストレスなどを感じてはいないのだ。「もう少し正しい英語なり心理学でも勉強しておけ」と言いたくもなる。“stress”は Oxfordには“pressure or worry caused by the problem in one’s life”とあるし、ジーニアス英和辞典には「(精神的・感情的)緊張、ストレス」とある。一見すると如何にも子供たちが言うストレスの如きだが、私は言葉の誤用だと断言しておく。


何故ならば、現在子供たちが感じているのは「外に出たくても出られない、遊べない」という「欲求不満」であるからだ。これに当たる英語を動詞形で表せば “frustrate”がある。これはOxfordには“to make ~ feel annoyed of impatient because they cannot do or achieve what they want”と明快だし、ジーニアス英和辞典には「要求不満、欲求不満」とも出てくる。「ストレス」が適切ではない事は明らかだと思うし、英語の勉強がどうのこうのといっている時代に、言葉の誤用を普及させるのな余りにも不適切である。どうにもならないアホどもだ。

事の序でに、私が経験した“stress”の使われ方を紹介しておこう。本部の“customer services”担当の女性マネージャーから「副社長が緊急の案件が発生したので直ぐにこちらに来るようにと指示された」と言った後に「それほど“stressfulな事案ではないから、心配しないでも良い」と追加された。彼女の気遣いは「私が如何に処理すべきかという多くの難問を抱えると、そのストレスに悩まされる性格である」と承知しているので、敢えて配慮して事前に通告してくれた」ということだ。確かに私はストレスに悩まされる性格だった。

ここで、カタカナ語排斥論者として言っておきたいことは「マスメディアよ。何時まで出鱈目なカタカナ語を使って罪なき子供たちのみならず、一般大衆までを不正確な英語の学び方に向かって引き摺っていこうとするのか」なのである。私は何でもカタカナ語を使えば格好が良くなるという陳腐で浅はかな考え方を断固非難したいのである。さて、私の不満は「ストレス」なのか「フラストレーション」のどちらであるか、マスコミの諸君に判断出来るだろうか。



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