何も知らずに入ってしまった世界だった:
大谷翔平の結婚話と、何となく時間の浪費のような気分にさせられた政倫審を取り上げても、余りゾッとすることがないようにしか思えないので、20年以上もの間経験してきた「異文化との遭遇」を振り返ってみようと思うに至った。正直なところ、自分だけが珍しい経験をしていたと思い込んでいるだけかも知れないのかどうかは、未だに判断できていない。
「日本人ならチャンと『お早う御座いますと挨拶なさい』」と言われた:
1970年8月に生まれて初めて、それも社用で海外に出張した時のことだった。台湾→フィリピン→シンガポールと回って、最後の目的地・香港に到着した。現地の取引先の商社が予約してくれたホテルの手違いで、予約が取り消されていた。大揉めに揉めた後でホテル側が折れて、最上階のPent-houseにトゥインと同じレートで泊まれることになった。正直なところ「ペントハウスって何」と言う程何も知らなかった。
翌朝、朝食に行こうとエレベーターホールにいると、向こうからやってきた如何にも知性と教養に溢れているだろうという感じの日本人と思しき小母様が「お早う御座います」と挨拶してきたのだった。「何で見ず知らずの人が挨拶するのか」と呆然としていた。小母様には「貴方日本人でしょう。こうやって海外で出会った時には、誰彼と区別せずにキチンと挨拶するのが礼儀ですよ。覚えておきなさい」と厳しい口調で言われてしまった。
「そういう事なのかな」くらいにしか受け止められなかったが、取りあえず「お早う御座います」と返して、その場は終わった。だが、得がたい異文化の教訓だったとは、後にアメリカに行くようになってから良く解った。
アメリカでは:
香港での経験があったので、多少は慌てたが何とかついていけるようになった。この国では「見ず知らずでも挨拶を交わす」だけのことではなく、大袈裟に言えば至る所ですれ違う人々に向かって、お互いに片手を挙げるなどして“Hi.”という言葉を明るい表情で交わすのだった。それも、“Hi.”だけではなく“How are you doing?”とフルスケールの挨拶までに至ることもあるのだ。
この何だか良く解らないアメリカ人たちの習慣に出会って、初めてあの香港での経験が生きてきた。そして受け身ではなく、こちらから思い切って“Hi, how are you doing, this morning?”などと適当に(?)言い出せるようになった。だが、かなりの度胸が必要な仕事なので、面倒だなというのが偽らざる心境。でも、郷に入れ郷に従わざるを得ない。このような挨拶の習慣が彼等の社交性の高さの源泉になっているのだろうと察した。
恐らく、こういう挨拶を交わさないと「彼等日本人は無愛想だなと受け止められるのでは」とも考えた。だが、彼等アメリカ人が我々と中国人の区別など出来ていないようで、アジア系の人を見れば先ずは「中国人と看做すようだ」とは後になって知るようになった。兎に角、アメリカに行った場合に、誰かに何処かですれ違う場合には、空振りになる覚悟で「ハイ」と片手を挙げてみるように努められたい。
スティーヴって誰ですか?:
某商社の若手が私の後任者とウエアーハウザー本社に出張した時の、彼としての驚きの経験談を。本社の長くて広い廊下を歩いていると、向こうから余り垢抜けがしていない服装の中年の小父さんがやってきて、後任に“Hi, Paul!”と声をかけてきたそうだ。Paulは片手を挙げ“Hi, Steve.”と応じて行き過ぎたそうだ。(因みに、当時の社長兼CEOはSteve Rogelだった)
若手は何で挨拶を交わすのかと「あれは誰ですか」と尋ねれば「社長だよ」との答え。「社長さんに、あれで良いのですか」と続けると「普通だよ」とあって、異文化に驚かされたそうだった。確かにそういう習慣であるが、日本の会社組織の中では考えられないことだろう。この辺りがfirst name社会の異文化足るところ。なお、後任は日本人でクリスチャンネームのPaulを使っていたという話だ。
このような社長に向かっての挨拶の仕方などは、我が国の企業社会の文化にはない習慣だが、ファーストネームで呼び合う文化の国では「ハイ。スティーヴ」でも失礼ではないのだ。ではあっても、慣れない間は社長だろうと役付きの副社長だろうと、ファーストネームで呼びかけるのは大いに気を遣ったものだった。尤も、偉い人の中にはファーストネームでの呼びかけを快く思っていないこともあるので、事前に問いかけて確認しておく必要がある。
「何でも良いから一番高い料理を注文してくれ」:
これはかなり驚愕させられた異文化との遭遇だった。1975年3月にウエアーハウザーのアメリカ国内の施設を顔つなぎの挨拶に回った時のこと。工場では工場長以下の幹部が夫婦揃って、市内で最高のレストランで歓迎の昼食会を催してくれた。初めての経験で緊張はしていた。そこで、日本的発想で最も経済的な料理を注文した。すると、奥方の一人が立ち上がって凄い勢いで私の所にダッシュしてきた。
何事が起きたのかと緊張した。彼女は「私たちは滅多にこういうレストランで食事をする機会が無いし、女同士で集まる機会もない。ここでの食事を楽しみにしてきた。それなのにゲストの貴方がそんな安い物を注文されては、私たちの礼儀としてゲスト以上の料理の注文が出来なくなる。だから、貴方は好き嫌いを忘れてこの最も高い物を二つ注文してほしい。それでこそ、私たちは好きなものが注文できて、心ゆくまで語り合いを楽しめるのだ」と告げにやってきたのだった。
アメリカは「Ladies first」の国であるとばかり思っていたが、意外なことを聞かされたと思う前に「何というきついことを言うのだろう」と呆気にとられた。しかし、何度か取り上げてきた戦後間もなく流行っていたBlondyのまんがにあったように、必ずしもLadies firstばかりの国ではないと認識させられた。お陰様で豪華で大量なランチを楽しむことになった。
余りこういうことを言う人はいないが「彼等アメリカ人が公式なというか接待の食事の席に奥方同伴で来るのは、勿論Ladies firstの範疇に入れても良いのだろう。だが、日頃家庭では余り良いものを食べていないので、こういう機会に埋め合わせをしているのだ」との解説は、事実であると言って大きな誤りではないだろうと思う。
なお、私は「ゲストが注文したメニューよりも高いものを頼んではならない」という不文律のような決まり事があるかどうかを確認する機会が無いままに終わったのは、未だに気になっている。
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