衆議院予算委員会に思う事
石破首相:
如何にも総理大臣らしくなってきたと感じた。官僚が準備した原稿を余り読む事なく(下俯かず)、自分の言葉で答弁しておられたのは良かったと思う。とは言うが、必ずしも褒めているだけではない。現実には、岸田前総理の如くに「質問に素直に答えておらず」、「質問の趣旨とは異なる持論を延々と展開しておられる」、「単なる持論の展開」等である場合が多かったのは褒められない。
私はこの辺りのように蒟蒻問答的に討論されること、はぐらかしてみせる技巧を駆使されて言質を取られること叶った点を捉えて「如何にも総理大臣らしくなられた」と評価したのである。内閣として野党の要求を容れてしまうと、財務省の方針に反する事になりそうと言うか、財源の不足を来しそうな案件は巧みに避けて通っておられたという事。
議事進行の手法:
機械化を導入したら如何という事。日本とアメリカの企業社会の会議の進め方を経験、または見てきた者からズバリと言えば「時代に追いついていないのでは」なのである。国会法がどのように規定されているのか知らないが、今時全く事務用乃至速やかに議事進行を可能にする機器類を全く使用していないのは、如何にも非能率的ではないかと言いたくなる。
例えば、質問者が交替する度に係の方が質問の内容のコピー集を委員方に配布に回っておられる。紙を大量消費されるのは大歓迎だが、私には非能率的に思えてならなかった。また、介添えの議員が大型の議論の要点や図表等を表示したチャートをテレビカメラに向けてかざされるのも、ディスプレーが設置されていれば、しないでも済む手間のように思えてならないのだ。首相はスマホをご愛用でないか。
そう言う根拠を述べてみよう。ある商社の役員会議室では一杯に広がった大型の丸テーブルの各委員の席の前にディスプレーが埋め込まれていて、調整室で係員が議題に応じて起こし、討論/発表の進行に合わせて頁が変わっていく方式になっていた。能率的だと受け止めた。この意味はコピーを各自に手交することを避けて、コピーが散逸しないようにするという事でもあるとか。
別の商社では我が社と同じ方式で、会議室の前面に超大型スクリーガ設置されていて、そこには議題やプリゼンテーションの要点がその内容に従って調整室から表示されるようになっていた。同時に、当時は必要に応じてオーヴァーヘッドプロジェクターも使えるように準備されていた。断っておくが、パワーポイントなどコンピュータのアプリが創造される以前の時代のことだが、議事進行は滑らかだった。
現在の委員会室の広さでは近代的な機器を稼働させるような改築や新たな配線の工事は難しいだろうが、あの議事進行の手法は一寸時代に遅れているのではないのかと感じた次第。少なくとも委員の席にはディスプレーが用意されていて欲しい。
討論の方法:
議会乃至は公開の席での討論、即ち英語の“debate”は、未だに我が国の文化には根付いていないようだと思わせられた。かなりの数の野党の議員の質問は「持論または党是を述べることに時間を費やしていて、一向にdebateになっていかない」のだ。石破首相も「イエスかノーか」と切り込んだ質問に対しても、ノラリクラリで要点を外していく流れ。「討論」になっていないのだが、野党も深く追及はしない。
今回は久しぶりに内閣追及の名手・立憲民主党の今井雅人氏が再登場したが、過去のように激しく揚げ足取り的に攻め立てるのはなかったのは残念?だったが、少しでも正当な討論に持っていこうとしていた点は評価せねばならないかも。言わんとすることは「丁々発止」と突っ込み合う激しい討論をすべきだという事。同時に石破首相にも「蒟蒻問答」を避けて頂きたいのである。
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