なるほど、こういうやり方があったのか:
岸田改造内閣が発足する。私は「信じて頼りにするしかない」と考えている。実は、私が密かに怖れていたことがあった。それは、「第二次安倍内閣では7回だったか8回だったかの改造をされる度に、閣僚の質が発足当時よりも格落ちになっていった」と見ていたことがあったからだ。即ち、悪夢の民主党内閣から政権を取り戻した直後の新閣僚は、自民党という器の中の液体の上澄みから選ばれた優れた者たちだと見ていたのだ。
それにも拘わらず、故安倍晋三元総理は時が経つごとに改造を重ねられたので、徐々に底の方に近い層から新閣僚を選んでおられたという印象だった。私はこの様子を見て、これまで日が当たらなかった者たちを大臣に取り立てるという選挙対策ではないのかとすら考えていた。それは、極端な表現を用いれば「おらが村の先生を大臣に任じることで箔を付けて、次回の選挙に備えてやっているのではないのか」と、僭越ながら疑っていたということ。
岸田文雄総理を最初の組閣では政界の事情に疎い私から見れば「へー、そんな人がいたのか」と思わざるを得なかった新閣僚が多いという印象だった。その内閣に、いきなり降ってわいた訳でもない、台湾有事やウクライナ問題に伴う防衛費予算や旧統一教会や第七波等々の内外の難問が群を為して襲ってきたので、この難局を乗り切るべく急遽改造に踏み切られたのだそうだ。
そこで、私が危惧したことは「300数十名おられるという自民党所属の国会議員の中に、国難を乗り切るにたるだけの能力と力量を備えたものがどれほど残っているのかとの疑念」だった。マスコミは今でも派閥云々と言うが、この時期に際して派閥間の均衡を心配しているべきなのかなとも感じていた。ということは、この改造が「岸田文雄氏の力量拝見」であると同時に「何をやって下さるのか」との期待感が綯い交ぜになっていた。
そこに、報道機関の取材能力なのか、官邸乃至はその辺の意識的な情報開示(「リーク」って言えば解りやすいか)だったのか知る由もないが、骨格を含んだ顔ぶれが公式発表の前夜に、テレビ画面に「ニュース速報」で流れ始めた。それを見ていて「なるほど、こういう手があったのか」と寧ろ感心させられていたのが、西村康稔、加藤勝信、浜田靖一、河野太郎という経験者の入閣だった。高市早苗も経験者だが、これら諸先生は「上澄みだ」と見て良いのだろうと受け止めている。
昨日も主張したことで、この岸田改造内閣の新大臣の質や力量などを云々しているべき時ではないのだと確信している。中国による台湾有事もさることながら、心配性の私は「いつ何時ロシアが南下してきて北海道を取ろうと企むか」と、独り密かに怖れている。このような面を含めて、再任閣僚の方々は経験も見識も対処能力も備えていて、岸田総理を支えて難局を切り抜ける方向に奮闘してくれるものと期待したいのだ。
立憲民主党や共産党などは「統一教会問題隠し内閣」などと戯言を言って、国民をあらぬ方角に誘導しようとしているかのようだが(これをカタカナ語にすれば「ミスリードしようとして」とでもなるだろうか)、願わくは「国民が岸田難局対応内閣を信頼して支持し」、何時までも「憲法九条に縋ってさえいればお国は安全」等と信じていないことだろう。
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