ラグビーのW杯について思うこと:
現在フランスで開催されているこのW杯について、偏見と誹られるだろう事を覚悟で、言いたい事(年来の持論)を述べていこうと思う。
ずっと以前から述べてきた事で、私はこのW杯とは「世界各国にあるラグビークラブのWorld Cup戦だと認識している。これは、丁度サッカーには世界各国にある強豪クラブがW杯を争うのと同じではないのかと看做している」のである。それはWR(World Rugby、その前身は国際ラグビーフットボール評議会)が、各国のクラブに外国人選手の加入を認める規格を作った事に疑義を呈しているのだ。
現に、昨日チリとの初戦にトライ(コンバージョンキック成功)6本で、2本(うち1本はコンバージョンキック失敗)のチリを大差で退けた日本代表のクラブの先発メンバーの7人は、帰化した選手も含めてカタカナ語の氏名だった。私の感覚では「WRが規定した事だから、私が云々しても無意味だが、これは純粋の日本代表とは思えないので、モヤモヤが残る」のである。
私はこれまでに「一度で良いから、日本人だけの代表ティームを結成して、どれ程強いか、強くなったかを試すべく、純粋の海外の代表との試合を組んで欲しいもの」と言ってきた、そんな事が実現する訳はないと百も承知で。
即ち、世界各国に存在するラグビークラブの選手権である以上、マスコミが興奮しているように「日本代表の実力が向上した。次のイングランドとの試合が楽しみだ」などと浮かれている気にはなれないのだ。一昨日だったか、ドイツ代表を実力の差が明らかになるほど、監督が解任されるほど破ったサッカーの代表には異人はいなかった。ドイツにはアフリカ系の選手も見受けられたが、ヨーロッパの諸国には大量の移民が押しかけているのだから、止むを得ぬ現象だろうと認めるに吝かではない。
私は何も「ラグビーの代表クラブを日本人選手だけの構成にせよ」などと分からず屋と非難されそうな事を言うつもりなどない。昨日だって「格下の相手でも勝ったのは良かった」と褒めて上げたい。実は、ここから先には例によって例の如き「マスコミ批判」に入って行こうというのが今回の真意である。
彼らはラグビーを「男のスポーツ」だの「ノーサイドの精神」などと褒め称えるだけで、クラブティームの様相を呈していることや、自国の代表に選ばれなかったので我が国にやってきて、我が国の言語・風俗・習慣に慣れ親しむ努力をして代表に選ばれている選手たちが多いことには触れないのだ。そして、わが国を代表しているクラブティームが進歩し、強力になった実績を褒め称えるのだ。
私は「“no side”は古語の部類に入る」と承知しているが、Wikipediaにも「ノーサイド(英語: no side)は、ラグビーフットボール(特にラグビーユニオン)において、試合終了のことを指す古風な英語表現である。日本では現在でも使用されているが、現在の英語圏ではno sideという表現は使われなくなり、代わりにfull timeが用いられている[1][2]。日本では「ノーサイドの精神」として「試合が終われば敵も味方もなく、お互いの健闘を称え合い、感謝し、ラグビーを楽しんだ仲間として友情を深める」というラグビーの精神に重ねる言葉として説明される」とある。
序でで、もう一つ古語と化した野球用語を上げておこう。それは、マスコミ御用達の「左利き」を表す「サウスポー」だ。これは戦後間もなく「アメリカではこの言葉が使われている。南部出身の投手に左投げが多かったから」と紹介された。現在でも左利きの代名詞の如くだ。だが、本部で野球を語り合った時に“south paw”と言ったら「君は今時珍しい古い言葉を知っているな」と揶揄され且つ語彙の広さを尊敬されてしまった。この辺りがマスコミの困ったことだと断言する。
私だって、世界最強の誉れが高いニュージーランド代表に、オーストラリア人だったか太平洋州の国の選手が混じっていたとかいう話は聞いている。だから、わが国の代表ティームにも外国人が入っていても良いという理屈にはならない気がしてならないのだ。我が国の選手たちにも世界水準を抜く者もいると承知している。そういう凄い選手を数多く養成して欲しいのだ。ラグビーにもサッカーにも大谷翔平級の者が出てきてもおかしくないのではないのか。
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