新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

中田翔をジャイアンツに無償で

2021-08-24 07:48:43 | コラム
物事には限度というものがあるのではないか:

私は「ファイターズから同僚を殴るという問題を起こした中田翔を無償のトレードで譲り受けたというジャイアンツも形振り構わぬ姿勢には、ただただ驚き呆れた」とまでは言った。だが、いくら何でも即刻使い出すとまでは予想していなかった不明を恥じねばならないと反省している。それは、中田は先日には出場させて頂いた上に、ベイスターズの今永から同点ホームランを打ったという報道には「呆れ返る」よりも強い表現があるのかと、大いに慌てさせられたほど驚愕させられた。

ファイターズ球団なのか栗山監督の決心なのか知らないが、中田翔には一及び二軍での無期限出場停止という罰が与えられたと報じられていた。そして、栗山監督は「自分の責任」と述べて涙ながらにジャイアンツにお引き取りを願ったというニュースがあった。そこまでで、私はナイーブにも(英語本来の意味は「間抜けか馬鹿」に近い蔑称的なこと)ジャイアンツは引き取って、当分の間は塩漬けにでもするものだと解釈していた。

私は浅はかだった。出場停止はリーグを変えるか、所属球団さえ変われば解除される性質だったのだった。NPBには確か「野球協約」だったかが存在していると思うが、この協約には「出場停止」についての条項はないようなのだ。正力松太郎氏だったかは「ジャイアンツは紳士たれ」と言われたそうだが、同僚を殴って放出された選手は紳士なのだろうか。先日も指摘したが、中田はジャイアンツでは許されていないもようである汚らしい茶髪を黒く染め直し、顎髭も剃り落としていた。これが紳士の条件で、暴力沙汰は免責となったようだ。

野球マスコミは(私の偏見かも知れないが)大正力が残したジャイアンツや読売新聞に楯突くような報道をしてはならない模様なので、この物事の限度も限界も等閑にして、読売ジャイアンツの大甘な中田翔の扱いをそよとも非難しようとはしなかった。僅かに産経抄氏だけが口を極めて批判していたのは最低限度の救いだった。だから、私が遠吠えしようと思った次第。

思うに、今シーズンが最後の原監督は一塁手に西武からMLBに行って失格とされて帰ってきた古物の中嶋と併用乃至は入れ替えるつもりと読んだ。するとどうだろう、内野の坂本と岡本は兎も角、外野に至っては左からウイーラー、丸、梶谷と余所から仕入れた選手が並ぶ壮観振りだし、投手だって菅野がいなければベンツじゃなかったメルセデスとかサンチェスだったかとオリベイラ等々の南アメリカ人が主力の如きだ。

選手層も他のどの球団も比較にならないほど厚い。これで、タイガースを追い落とせなかったら、どうするのだろうか。優勝のためには物事の限界も限度もどうでも良いのかな。



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