杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

卒論「静岡の酒」

2009-03-10 11:36:54 | 吟醸王国しずおか

 このところ、大学生と接する機会が多かったせいか、自分の学生時代のことをよく思い出します。卒論のテーマは中央アジア・クチャのキジル石窟寺院の壁画様式。シルクロードの仏教壁画といえば、東は敦煌、西はガンダーラが有名ですね。その間にあるキジルは知名度的にはイマイチですが、仏教東漸の要所として研究家の間で注目されていました。

 

 専門家の学会論文(英語かドイツ語)しか資料がなく、実際に現地に行く資金的余裕もなく、学生が論文で取り上げるにはハードルが高く、論文の内容は研究家の議論の一端をかじり書きした程度のものでしたが、今思えば、「書く」という作業において20代初めに高い頂を目指したという経験は、その後の自分を形成してくれたのではないかと思います。

 

 

 先日、静岡大学の学生から、卒業論文が届きました。テーマは静岡の酒。最初に相談を受けたとき、てっきり農学部の醗酵工学か米の育成に関連した専攻をしている子かと思ったら、文化人類学ゼミだという。純粋に酒が好きで、バイト先の居酒屋でも慣れ親しんでいると聞いて嬉しくなり、JR静岡駅南口の『湧登』に招いて呑みながら食べながら、いろんな話をしました。ちょうど去年の夏ごろでした。

 

 本人は酒蔵へは何ヶ所か取材に行ったそうですが、静岡の酒が消費現場でどんな評価を受けているのか、川下の実情も知っておいたほうがプラスになると思い、篠田酒店ドリームプラザ店の萩原和子さんも呼んで、あれこれレクチャーしてもらいました。20代の彼と、40代の私と、70代の萩原さんでは、ヘタしたら3世代家族に見えたかもしれませんが(苦笑)、初めて会った者同士が、世代を超え、立場を超え、共通の話題で呑みあかせるなんて、なんて素敵な体験だろうと思いました。

 

 彼はその後、『吟醸王国しずおか』パイロット版試写会にも来てくれたほか、酒蔵は14か所取材したようです。実際に卒論に書かれた内容は、取材先での蔵元のコメントと、ネット上に公開されている日本酒の一般情報や、『地酒をもう一杯』、雑誌『sizo:ka7号酒蔵特集』などの記事をつないで構成したもので、こちら側が特段、目を惹くものではありませんでしたが、短期間で書いたにしては非常によくまとまっていました。

 

 少なくとも、酒造組合のホームページを作っている業者や、酒販店主や、きき酒師や、カルチャースクールの講師といった、“地酒伝道活動”をしている人たちで、これだけしっかりした論文が書ける人と、今まで会ったことはありません。・・・な~んて、業界批判めいたことを書くと何か言われそうですが(苦笑)、ようは、他者を説得させる文章なり論文を書くという能力は、やはり商売の片手間で身に着くものではなく、相応の訓練が必要なんだということ。

 

 地酒伝道活動をしているみなさんの多くはブログなども書かれているようですが、中には、写真にキャプションをつけただけとか、聞いた話をただ右から左へ流したり、裏付けのない情報を感覚的な言葉だけで無造作に流す人もいるようです。お忙しいでしょうけど、酒の伝道師が酒に関する情報を発信する以上は、言葉に責任を持ってもらいたいし、たまには時間をかけてひとつのことを調べ、「自分の言葉で書く」ということを意識してほしいと思います。

 

 文章を書く能力は決して特殊能力ではなく、訓練です。22歳の大学生が、地酒伝道のプロたちに負けない論文を1年足らずで書き上げられたのも、4年間の“訓練”の賜物だと思うし、ライター歴23年の私がこういう長文ブログを日々書くのも、まぎれもない訓練の一環です。訓練は、決して無駄骨にはなりませんから!。

 

 

 彼は論文の結論として、“静岡の酒は、静岡酵母によってひとつのスタンダードを創り上げたが、静岡型イコール静岡の酒ではなく、静岡が目指している形そのものが、全国的に「静岡型」と呼ばれ、他県の酒の特徴にも「静岡型」と明記されるほどになってもらいたい”と述べています。

 これは自分も『吟醸王国しずおか』で描きたいと思っていること、すなわち静岡吟醸イコール単に静岡酵母を使った酒ではなく、吟醸造りで培った高品質の酒造りそのものを指す、というメッセージに通じるものでした。そんな結論を彼に導き与えた蔵元の言葉を、彼の論文の中から拾い上げておきます。どこの蔵元の言葉か、地酒伝道師ならおわかりですよね!

 

「(静岡県は)まぐろ、さば、いわし、あじ、太刀魚など駿河湾の恵みを受けている。静岡型は淡麗辛口だけど魚に合わすにはそれじゃ物足りない。味わいがないとダメ。魚の味を洗ってくれるもの。うちの酒は酸度が少ないけれど味わいを持った酒。「飲むと〇〇〇だとわかる」というお客さんが多い」

 

「静岡型の酒は飽きずに飲める。だが従来の静岡の酒はインパクト不足。いろいろなお酒を飲んだ後に記憶に残らないため、リピーターを作ることが出来ない。静岡酵母が出来たのはもう20年以上も前。いつまでも高評価は得られない。何が良いとか悪いとかじゃなくて、静岡酵母が良い時もあった。変化を恐れてはいけない」

 

「人が造るものだから、いくら良い米、良い酵母、良い水を持ってきても、必ず良い酒が出来るとは限らない。なぜかというと、そこに人が介在しているから」

 

「安い酒こそ丁寧に造れという言葉を実践している。吟醸酒は高い金をもらうわけだから美味しい酒を造るのが当たり前でなければならない。それに比べ安い酒は飲む機会が多いからこそひと手間ふた手間かけて値段以上のものを造って飲む人に喜んでもらいたい」

 ・・・吟醸王国とまでいわれる静岡県において、どれだけ安くておいしい酒を造れるかを追求する姿勢は意外だと感じた。吟醸酒の割合が高いからといって、吟醸酒が最も素晴らしく良い酒であるとは考えてはいないのだ(筆者)。

 

「米とか酵母とか、数値化できるもので酒を選ぶのは見解が狭い。蔵元の人たちは酒を子どものように見ている。どこ出身でどの学校に行ったかは重要ではなく、誰にどんなしつけを受けて育ったかが大事だと思う」(鈴木真弓)。