17日(日)、福島県いわき市に行ってきました。私が広報のお手伝いをしている元内閣府少子化担当大臣・上川陽子さんが、同期当選で親しい自民党衆議院議員吉野正芳さん(福島県選出)の案内で被災地を視察するのに同行させてもらったのです。
陽子さんはこれまで2回、呉服町スクランブル交差点で街頭募金活動を行い、静岡県のミネラルウォーターを被災地に送っており、直接現地を訪ね、刻々と変化する“求められる支援”の在り方について現地の声を聞きたいと願っていました。
地元福島で林業に携わっていた吉野さんとは、環境問題や水資源等について政策研究をする同志とのこと。今回は、吉野さんの選挙区でもある福島県双葉郡といわき市の“震災・津波・原発風評被害”の三重苦の実態を知る、得難い視察となりました。
陽子さんから福島行きを誘われたとき、ライターの本能のまま、即答で「行きます!、いつですか!?」と答えたのですが、その後、仕事先で会う人から「現地スタッフが原発の爆発映像を見て職場逃避したよ」(マスコミ)、「業務命令なら仕方ないけど進んで行く気にはならないなぁ」(エネルギー関係)等など思いもよらない反応にビックリ。・・・福島ってそういう目で見られているのかと、今更ながら風評被害の根深さを知ったのでした。
その後のさまざまなニュースに一喜一憂しながらも、ハッキリ自覚したのは、東海地震と浜岡原発のリスクを抱える静岡県民のハシクレとして、福島県民の境遇をきちんと理解し、思いを共有し合えなければ、同じ日本人として恥ずかしいじゃないかという自分的にはちょっぴり大げさな義憤心。また世間的には酒を飲んでるだけと思われているローカルライターが大災害の現場にふれる機会を得られた運です。
興味本位でニュースの現場を覗き見るというスタンスに陥らないよう、先の記事でも紹介した静大理学部のサイエンスカフェで大震災と放射能のメカニズムについて基礎勉強をし、“放射能恐れるに足りず”“風評被害を解決するのは現場の状況を正しく理解し、伝えるチカラである”との確信を持って出掛けました。
最初に到着したのは、いわき市浜通り(よく余震の観測地で出てくる地名ですね)にある「アドレスいわき中央ビル」という複合施設。ここ に、17日、『南双葉復興センター』が開所したのです。
このセンターは、福島第一原発事故で避難指示が出ている双葉郡の8つの町村のうち、南に位置する4町村(川内村、富岡町、楢葉町、広野町)の商工会が広域連携をとって地域の産業を復興させようと立ちあがった組織。南に隣接するいわき市のサポートを得て、事務所をオープンさせたのでした。
ちょうど開所式が始まった直後に滑り込みで到着し、4町村の代表者や地元選出議員のみなさんが口々に「国に頼らず、自分たちの力で復興し、自立しよう!」「みんなで笑って花見ができるまで頑張ろう!」と活力あふれる挨拶をされていました。・・・被災地に着いたら、どんな挨拶や慰めの言葉をかけたらいいのかな~んて、チマチマ逡巡してたのが恥ずかしいくらい、現地のみなさんのアグレッシブな姿にいきなり先制パンチをくらった気分です。
事務所内のドーンと貼られたこの文字、並々ならぬ熱意を感じます・・・!
挨拶の中で心にぐさっと来たのは、「福島といえば原発と風評被害のニュースばかり。我々とて地震と津波の被災者である。そもそも、福島原発の事故は、福島の事故ではない。東京電力福島第一原発の事故である。東京の人に自分たちの電力の問題だとハッキリ意識してもらう意味でも、報道機関には必ず“東京電力福島第一原発”と表示してもらいたいが、今のところNHKだけである」という声でした。
私も、福島に着くまでは正直なところ、福島イコール原発と放射能と風評被害が頭の中で図式化してしまっていました。被災地としてニュースに取り上げられるのは、どうしても岩手県や宮城県の死者行方不明者数の多い町ですよね。有名人がボランティア訪問して話題になるのも、そういうところ。犠牲者が多いのだから仕方ないのかな。
しかし、吉野さんに案内されて次に向かった30キロ圏ギリギリの久之浜という港町で、福島が、「大地震と大津波に襲われたまぎれもない被災地である」ことを、まざまざと見せつけられたのでした。(つづく)