4月17日のいわき視察。11時から17時まで約6時間、久之浜から勿来までの50キロほどの海岸沿いを走っただけですが、振り返ってライター稼業25年の中で、こんなに重い6時間はなかっただろうと実感しています。
訪れたのが桜の季節だったというのも、哀しみを増幅させました。ふつうの年なら、4月中旬の日曜日、絶好のお花見日和だったでしょう。
町はガレキの山でも、桜はちゃんと咲くんですよね・・・。
勿来の手前の植田地区にある植田小学校。今回ご案内くださった地元選出の衆議院議員吉野正芳さんの母校です。地割れした校庭が、 まるで棚田のようになっていました。
陽子さんと吉野さんが地割れをまたぐようにして歩いて確かめていると、吉野さんの奥さまが「早く戻ってきて、余震が来たら怖いわ」と心配そうに見守っています。
・・・ここが小学校の校庭だなんて、子どもたちがこの上を駆け回っていると想像したら末恐ろしくなりました。いつも遊んでいる校庭がこんな姿になっちゃって、子どもたちは今、どんな思いでいるのかしら・・・。
校舎と体育館は3・11では外壁が一部壊れただけなので、教育委員会から使ってもいいと言われたそうですが、校長先生は余震に耐えきれないと判断し立ち入り禁止に。それも道理で、校門から体育館に続く通路はジョイント部分がずれて、体育館の軒下も一部地盤沈下しているのがハッキリ確認できました。ふたたび大きな余震が来たら、完全にアウトでしょう・・・。
校門の前の道は所々陥没していて車両は入れません。歩道には八分咲きの桜。その下を、親子連れが散歩に来ていました。就学前と思われる子どもは母親に手を引かれ、無邪気にスキップしていました。ふだんの年なら、お花見しながら「○○ちゃんも早く1年生になりたいね~」なんておしゃべりしていたのかな。
被災された吉野さんのご自宅を回ってお見舞いし、次いで4・11のM6弱の余震で崩落した山の急斜面を案内しようとした吉野さんを、奥さまが「今、余震が来たら命がない」と引きとめ、最後の視察地・いわき市勿来地区災害ボランティアセンターへ。
今回、陽子さんは静岡茶、静岡市小坂産のスルガエレガント30キロ、うなぎパイ10箱、後援会事務所の女性スタッフ手作りのラスク、マーマレード、オレンジオピール等を差し入れ用に持参しました(私と、もう一人の同行者Iさんは荷物持ちも兼務してました)。
この日の登録ボランティアさんは150人ほど。うかがったときはみなさん外で活動中で、事務所にスタッフが数人残っているだけでした。施設長は地元の産婦人科のドクターだそうです。
陽子さんと私で持参したキャリーケースをパカッと開けると、ケース一杯のスルガエレガント! 前日に山で刈ったばかりだそうで、みずみずしいオレンジの香りが事務所中に広がり、スタッフのみなさんは歓声を上げて喜んでくれました。
プレハブ事務所の外には、「いわき市4月17日12時現在の放射能測定地0.33μsv」の表示。一見、どれくらいの線量なのかピンと来なかったのですが、夜、静岡へ戻ってネットニュースを見たら、同じ日に原発20キロ圏内に入った枝野官房長官が、完全防備で屋外に5分間滞在し、線量は0.5μsvだったと知りました。
ちなみに静岡市では過去0.0281~0.0765μsvという変動幅(静岡新聞より)なので、ひとケタ多いのは確かですが、0コンマ以下のμsvなら健康への影響を心配することはありません。でも、テレビで大きく紹介されるのは白仮面で完全防護服の枝野さん。普段着で懸命にガレキと格闘し、日常を取り戻そうと努力しているいわき市民やボランティアさんたちの映像は流れないでしょう。
もちろん、政府の要人が20キロ圏内に入るのだから、防護服は必要必然なのでしょうが、あんな緊迫感ある姿ばかり見せつけられたら、原発周辺の町もしくは福島県全体があんな状態だと誤解する人は少なくないと思う。海外で日本渡航をキャンセルする人は、あれが日本全体の状態だと思い込んでいるかもしれません。・・・映像メディアは、その影響力をきちんと「想定」して発信してほしいと思いました。
静岡へ帰ったその日の夜、いわき市は震度4の余震に見舞われました。昼間、久之浜で「今日から我が家で暮らす」と気丈に語ったご夫婦、薄磯のガレキの上に置かれた名前入りのトロフィー、植田小学校の地割れした校庭などが真っ先に目に浮かんできました。
「4・11のM6弱の余震で、水道が再び止まり、山崩れで3人亡くなった。復旧への意欲がくじけそうになった。余震だけは勘弁してほしい」と嘆く吉野さんや、山崩れ現場の視察を引き止めた奥さまの怯えた表情を思い返し、いわきの人々は今も大震災と戦っているんだ、私は戦地へ行って来たのだと深く深く噛みしめました。
歴史が好きで、書くことが好きで、友人から「マユミちゃんの前世は江戸の瓦版屋の早筆師に違いない」なんてからかわれたこともある私ですが、まさか生きているうちに、世界の歴史教科書にも載るような大災害の地を取材するなんて夢にも思いませんでした。
このような機会を与えてくださった上川陽子さん、一日、丁寧にご案内くださった吉野正芳さんご夫妻に、心より感謝いたします。
この6時間は今まで経験したことのない、ものすごい時間でしたが、取材活動として見たらほんの序の口。せっかくご縁をいただいたいわき市です。これから何年、何十年とかかる復興の歳月を、現役ライターでいられる限り、しっかり見守っていきたいと思っています。