杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

福島いわき・ほんとうの被害(その5)

2011-04-22 08:30:59 | 東日本大震災

 今日は最初にちょっとコマーシャルを。今回、私が上川陽子さんの福島県いわき市視察に同行したのは、4月24日(日)朝8時30分~9時まで、FM-Hi(76.9 シティエフエム静岡)でオンエアされる『かみかわ陽子のラジオシェイク』という新番組の取材の一環でした。

 この番組は、陽子さんが日本や世界で起こっている気になるニュースや社会問題を、地元静岡の身近な例にたとえながら、おしゃべり解説したり、地域の話題をカジュアルトークする番組(になる予定)です。私は構成作家兼聞き役としてお手伝いします。

 24日の第1回目は、いわき視察のエピソードを中心にお話します。初回のテーマとしては非常に重いのですが(ホントは4月の入学式や母校の思い出など、季節感のある明るい話題を予定していたんです)、今は避けて通れません。

 毎月第4日曜の同時間にレギュラー放送の予定です。76.9の受信エリアの方はぜひお聴きください。 

 

 

 

 さて、いわき市の小名浜漁港の周辺に来たら、景色がImgp4313一変しました。大きな港湾施設のほか、石油や石炭火力関連施設、日産自動車、呉羽工業、旭化成系の製塩会社「新日本ソルト」等の大規模生産プラントが林立しています。

 船が横倒しになっている光景を見物に来る人が多いらしく、巡回パトカーが「関係被災者以外はむやみに入らないでください」と拡声器で叫んでいました。

 

 

 テレビ報道でよく見た、丘で干上がったような船の数々。ひと月以上、このままの状態なんですね・・・。Imgp4314

 

 

 小名浜港から少し南の高台にあるゴルフ場は、奇跡的に被災をまぬがれ、なんと震災の翌日(3月12日)から通常営業をしたそうです。高台で津波が来なかったというのはわかるけど、大地震でライフラインにダメージがあったはず・・・。詳しく聞いたわけではありませんが、たぶん自家発電を完備した、鉄壁の自己完結施設だったのでしょう。

 さすがに12日のお客さんは1組、13日は3組だけだったそうですが、日本中が自粛自粛で金縛り状態になったときに、ここ、いわき市で、「いち早く日常に戻る」という強い意志を示されたオーナーとゲストの判断は潔いと思いました。

 

 

 Imgp4320 次いで訪れたのは、常磐共同火力勿来発電所近くの川田という海岸でした。防潮堤がこのように無残な状態で、その先にあったはずの中州が完全に地盤沈下して、海岸線が陸側に押し寄せていました。

 

 

 Imgp4318

 横倒しでむき出しになった堤防の床断面は、まるで石コロを土で固めただけの岩の塊。これじゃぁ、とてもじゃないけど津波は防げないって、素人目にも理解できます。

 

 

 

 川田海岸には、前回記事で紹介した、江名の水産加工業夫妻の奥さまの実家(材木会社)があったそうですが、工場は跡形もありません。奥さまのご家族や会社の社員は無事だったものの、海岸一帯で11人が亡くなりました。

 

 

 会社が残っても復興の道は厳しいようです。放射能の風評被害で、魚や野菜ばかりでなく、木材や工業製品まで、“福島産は放射能がかかっているから”と取引拒否をされたり、いわきナンバーの車両で来ないでくれと言われることも。ネット上の噂ばなしかと思ったら、どうやら本当のことのようです。

 

 ここへ来る前、一夜漬けながら静大サイエンスカフェの講座で放射能の基礎知識を頭に入れておいたおかげか、冷静を装い、「無知な人が多いもんだ・・・」な~んて上から目線で聞いていたんですが、だんだん腹が立ち、言いようもない虚無感に襲われました。差別の根源である原発事故にはもちろん、差別発言をする人や差別を払拭できない情報機関・マスメディアにも腹が立つけど、直接こうして風評被害に遭っている人を目の前にしながら、自分はあまりに非力です・・・。

 

 

 

 いわき市は、大震災のちょうど一ヶ月後の4月11日に、M6弱の余震に襲われ、せっかく水道が97%まで復旧していたのに45%に逆戻りし、17日当日も一部で断水状態が続いていました。

 

 

 Imgp4329 ちょうど常磐共同火力勿来発電所の近くのコンビニ駐車場で、自衛隊の給水車を見かけました。群馬からやってきた部隊だそうです。

 

 コンビニは通常営業しているのに、その横で自衛隊員が給水活動している・・・。震災ニュースを見慣れてしまった身としては、さほど驚く光景ではありませんでしたが、よく考えてみると、自衛隊の方々が、日常の街角で作業しているってちょっと異様ですよね。

 

 

Imgp4328  

  

 災害派遣された自衛隊員が、「自分たちが歓迎され、感謝される時というのは、日本人が不幸のどん底にいる時」と語った・・・そんなニュースをふと思い出しました。

  

 

 

 ひと月経っても、生きるために最も必要な「水」が足りない・・・。そのこと一つとっても、この震災の甚大さがよく解りました。(つづく)