杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

草原の王朝 契丹展を見て(その1)

2012-02-20 10:01:39 | アート・文化

 静岡県立美術館で開催中の『草原の王朝・契丹展』をやっと観に行きました。とても興味のある展覧会でしたが、契丹王朝についてはあまり詳しくないので、19日(日)14時から美術館講堂で開かれた講演会「契丹王族の仏教信仰」を受講し、ひととおりの歴史を頭に入れてからじっくり鑑賞しました。

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 世界初公開の門外不出の出土品がやってくるということで、県美でよく企画出来たなぁ(失礼・・・!)と思ったら、2011年9月から九州国立博物館、2012年4月から大阪市立美術館、7月から東京藝術大学大学美術館で巡回するそうで、各会場にはTBS系列の地元テレビ局が主催者に名を連ねていました。静岡の県美は静岡新聞とSBSの力で実現できたというわけですね、なぁるほど。

 

・・・なんて話はどうでもいいですよね。

 

 講演会「契丹王朝の仏教信仰」の講師は、ユーラシア東方民族史が専門の古松崇志氏(岡山大学准教授)。20日付け静岡新聞朝刊にも紹介されていますね。遊牧民の歴史だけあって、現地調査に重きを置く“フィールド歴史学”を得意とされています。現代版のインディ・ジョーンズみたいな仕事かなあと羨ましく思いました。 

 

 

 契丹族というのは、もともと中央ユーラシアでは一番東にいた遊牧民で、北京の北方350㎞あたりのチャガン・ムレン河流域、ちょうど遊牧地帯と農耕地帯の境界あたりに住んでいました。そこそこ豊かな土地だったようですね。

 

 

 今から1100年前、中国では唐王朝が滅んで国中がゴタゴタし、中央ユーラシアでは一大勢力だったウイグル族が弱体化した頃。契丹は第3の勢力として台頭し、907年、実力者・耶律阿保機(ヤリツアボキ)がバラバラだった諸部族を統一して「遼」を建国し、915年に国号を「大契丹」に。1125年に新興の女真族国家「金」に滅ぼされるまで、約200年間繁栄しました。

 

 

 そうそう、「遼」とか「金」とかいろんな民族国家が乱立した・・・なんて記述が、高校の世界史教科書にあったような気がしますが、これだけでは、北方に一時期栄えた契丹の文物が、今の世でひとつの研究対象になり、展覧会の企画テーマになる理由がわかりません。

 

 

 

 古松先生はまず「遊牧圏と農耕圏が共存していた地理的特異性を頭に入れて」と解説されました。耶律阿保機とその息子・耶律堯骨(ヤリツギョウコツ)は、唐滅亡後の中国本土へと勢力を広げていきます。唐王朝下で飯を食っていた人々は、当然ながら、「契丹へ行けば飯が食える」とばかり、北への人口移動が起こります。勢いのある集団や組織にすり寄る習性は、今の日本の政治と一緒ですね(苦笑)。

 

 

 もともとが遊牧民である契丹族の人々ですが、中国本土から流入してきた各民族を「それぞれの習俗により治める」政策をとりました。「北面官」と「南面官」という官僚制度を整え、遊牧と農耕の2つの経済を発展させた。当然、漢民族が誇りとする唐の文化も破壊することなく活かしたんですね。これが、200年の歴史の中で類まれな文化財を残すことになりました。

 

 

 

 契丹王朝は極めて厳格な書物出版規制を行い、中国歴代王朝も遊牧族への偏見からか、あまり記録に残していません。それゆえ、貴重な記録や文物が、1100年もの間、奇跡的に保護され、1930年代に日本が満州国を建設するために現地調査したときに、ようやく日の目を見た、というわけです。

 

 

 今回の展覧会は、世界初公開50件、中国の国宝である第一級文物45件を含む127件が展示されています。中国の内蒙古博物院、内蒙古文物考古研究所、九州国立博物館等が2007年から2010年まで行った『トルキ山古墳文物の保護の修復』プロジェクトの成果を中心に展示するものです。トルキ山というのは契丹王朝の王族の墓があり、近年の中国遼代考古学の中でも最も重要な発見とされています。

 

 

 日本ではちょうど源氏物語が書かれていた頃。広大な大陸を舞台に、遊牧と農耕が奇跡的に融合し、そこに仏教が彩りを加え、200年という凝縮された時の中で華開いた契丹文化。多文化共生という価値観が見直されている今、学ぶべきものがたくさんありそうな気がします。

 

 

 長くなりましたので、契丹の仏教文化についてはまた。

 


「たまらん」舞踊特集~日本の伝統から学ぶこと

2012-02-16 13:31:53 | 駿河茶禅の会

 昨夜(15日)は『茶道に学ぶ経営哲学研究会』で、暦や二十四節気と茶道の関わりについて学びました。季節感の表現は、茶道にとって最も大切なこと。さらに茶道の「七則」はビジネスにも通じる重要なフィロソフィーだと実感しました。

 

 

 

 心得のある方には釈迦に説法だと思いますが、七則を自分なりに解釈すると、

 

 

一、茶:服のように点て。 → もともと薬として伝わった茶の効能を活かす → 人さまの役にたつ仕事をする。

 

 

二、炭:湯の沸くように置く。 → 沸騰温度を計る。→ 限度を見極める。

 

 

三、花:野にあるように。 → 自然の美しさを活かす。 → 手を加え過ぎないこと。

 

 

四、夏冬:夏は涼しく冬暖かに。 → 伝統の暮らしにエコのヒントあり。

 

 

五、刻限:茶事の時間厳守。 → 約束の時間の15分前には着くように心掛ける。 

 

 

六、降:降らずとも雨の用意。 → リスクマネジメント。

 

 

七、相客:客への心配り。 → 顔ぶれ、席順等にも細心の配慮を。

 

 

 

 

 会社の新人研修なんかだと、こういうことって最初に教わると思いますが、年齢とともになおざりになっちゃうんですよね。

 私も駆け出しライターの頃、「原稿締め切り日の前日には入稿できるようにしなさい。1日早くもらえることで、編集者やデザイナーがどれだけ助かるか想像してみなさい」と教えられましたが、だんだんおろそかになってしまって、締め切りを守れなかった言い訳だけは達者になっちゃって・・・ 

 でも、締め切りという基本さえ守れないフリーランサーなんて簡単に干されてしまうと実感し、今は初心に戻って、期日をどれだけ前倒しして入稿できるかに努めています。努力目標ですけどね(苦笑)。

 

 

 

 

 

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 さて、昨日の研究会では、メンバーの平野斗紀子さんが、『たまらん』の最新号を持ってきてくれました。新年特別編集で、全編、歌舞伎や日舞の舞台裏のお話。伝統芸能の舞台をささえる裏方さんたちの知られざるお仕事ぶりや、職人魂がこもったメッセージが満載されています。市川亀治郎さんご指名の稀音家祐介さん(長唄三味線)、坂東玉三郎さんご指名の日吉小間蔵さん(長唄)など、歌舞伎ツウなら見逃せないインタビューも。長年、日本舞踊をたしなむ平野さんならでは、の特集です!

 

 

 

 実は昨年暮れ、東京の国立劇場小劇場で、平野さんが所属する花柳流若由美会の発表会があって、「平野さんが踊るところを見てみたい!」とゴリおしをして、チケットを譲ってもらって観に行ったんですね。平野さんは三保の羽衣伝説を題材にした常盤津『松廼羽衣』の漁師・伯了を演じました。

 もう見事な男役で、唄も朗々と謳って、ビックリ仰天しちゃって・・・。地方(三味線・長唄)の演奏も素晴らしいし、舞台のセットはホンモノの歌舞伎(・・・生で見たことないけど)と同じ。それより何より、踊り手の所作! 人間の身体ってこんなに美しい動きができるんだと感激し、和装の美しさにも感激しました。気が付いたら私の隣の席には、テレビの時代劇で時々お見かけする某女優さん・・・。ホント、劇場にいる数時間が、夢の、異次元空間のように思えました。

 

 

 

 

 平野さんから「ひとつの演目、ひとりの踊り手を、少なくとも30~40人の裏方が支える」ときき、多くの職業人がかかわる日本の大事なソフト産業であり、しっかり伝えていかなければ、という思いが、平野さんを突き動かしたんだなあと解りました。

 踊りを本格的に習い、国立劇場の発表会に参加するって、単なる趣味や行儀見習い程度の気分で出来ることじゃあないでしょう。ましてや、書くプロとして裏方にこれだけ密着して取材し、自主制作新聞で伝える・・・。「伝える使命」をしっかり軸に持っていなければ出来ないことです。こういう先輩が側にいて幸せだなあとつくづく思います。

 

 

 

 

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茶道研究会のみなさんも、食い入るように目を通し、伝統芸能に精通する望月先生も記述をもとに、かつて華やかなりし頃の静岡の花柳界のお話などもしてくれました。

 

 

 

 

 たまらん新年特別号は、戸田書店静岡本店、谷島屋呉服町本店等で1部100円で絶賛発売中です。伯了姿の平野さんの貴重なバックショットも載ってます。ぜひお目通しを!!


『おい川』さん、おつかれさま。

2012-02-13 09:36:57 | しずおか地酒研究会

 私がしずおか地酒研究会を結成したのは、今から16年前の1996年春でした。きっかけは、前年95年11月に静岡市立南部図書館で企画した食文化講座『静岡の酒』だったことは、これまでもちょこちょこ紹介させてもらっています。その、大事な起点となった南部図書館食文化講座の受講生の中に、山本将夫さんがいらっしゃいました

 

 山本さんは96年春、しずおか地酒研究会の発足とほぼ同時期に、鷹匠町に『おい川』という居酒屋を開店させます。静岡の地酒と手作り惣菜を格安で楽しめる、庶民のための、アットホームな居酒屋さんです。店で扱う酒について少しでも理解を深めるため、酒販店を経営する弟の勧めで食文化講座『静岡の酒』も受講してくださったのでした。

 

 弟の山本修輔さんは、藤枝で『酒のケント』という地酒専門店を経営しており、『おい川』は、『酒のケント』からとびきり“イキのいい”酒をきめ細かく仕入れます。

 

 

 

 90年代前半、当時、私が地酒修業をしていた店は、扱う静岡酒といえばほとんどが大吟醸クラス。“修業”はホント、楽ではありませんでしたが(苦笑)、『おい川』では、特別本醸造や純米酒クラスでもコストパフォーマンスが高く、このクラスのレベルが高いのが静岡酒なんだ、というメッセージを存分に伝えられる品ぞろえ。『おい川』人気は口コミで広まり、いつも満席状態でした。

 

 

 地酒ライターや地酒研究会の活動は、静岡のようなローカルでは珍しかったのか、いろいろ注目をしていただきましたが、『おい川』の繁盛ぶりをみると、「自分の活動は、お酒を実際に売る人・買う人・飲む人のアシストにすぎない」「地酒の普及には、やっぱり飲んで美味しいと思ってもらえる品ぞろえや店づくりが大事」としみじみ実感したものです。

 

 

 そんな、私にとっても思い入れのある『おい川』が、今月いっぱいで、16年の歴史に幕を閉じることになりました。「古希を過ぎて、夫婦ともども疲れがとれなくなって・・・年にはかてません」と山本さん。先日、久しぶりに店を訪ねたら、野崎弘樹さんという若い後継者が、山本さんと一緒にカウンターに立っていました。3月以降は野崎さんが『おい川』を引き継いでいかれるそうです。

 

 

 鷹匠には、2005年にやはり市の委託で開催した地酒講座を受講され、その後、しずおか地酒研究会にも入ってくださった長沢さち子さんが、昨年末に「佐千帆」という地酒バーを開店させました(こちらを参照)。

 次世代の地酒伝道師が飛躍の場を広げることに、無上の喜びを感じると同時に、世代間のはざまに立つ自分に、これから何が出来るのだろうと真剣に考えさせられます。

 

 

 

 今は、とりあえず、山本さんに感謝を込め、「この店の静岡酒普及の貢献度ははかりしれません」とお伝えしたいと思います。

 

 こちらの記事は、『おい川』の開店2年目の1998年9月掲載の毎日新聞連載「しずおか酒と人」です。山本さん、本当におつかれさまでした&ありがとうございました。


岩槻邦男著「生命系」を読んで

2012-02-10 13:49:00 | 本と雑誌

 先日、富士山特集の取材でお会いした岩槻邦男先生。理学博士で東大名誉教授という肩書きを見て、最初はとても会話にならないんじゃないかとビビりましたが(苦笑)、とてもお優しくて柔和で、私の浅学非才ぶりにはお構いなしにマイペースでお話してくださったので、とても有難かったです。

 

 

 先生は日本ユネスコ協会の会員で、環境省が2003年に設置した世界自然遺産候補地についての検討会の座長を務められました。2月23日富士山の日にグランシップで開催される『富士山世界文化遺産フォーラム』にもパネリストのお一人として参加されます。

 

 

 先生曰く、「富士山は自然遺産になれないから文化遺産に乗り換えた」という認識は誤りで、03年の自然遺産検討会で選ばれた19の候補地にもエントリーされています。19の中からは、知床と小笠原が先んじて推薦→登録をはたし、現在は琉球諸島が2013年の暫定リスト入りを目指しています。後回しにされたからって富士山がダメだというわけではないんですね。その辺の誤解も、フォーラムの席上でお話になると思いますので、参加予定の方はご期待ください。

 

 

 さて、先生にお会いする前に、何冊か著書に目を通した中で、理系の苦手な私にも面白くって、いろいろな意味で深く考えさせられたのが、『生命系ー生物多様性の新しい考え』(岩波書店)でした。

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 “生態系”は聞き慣れているけど、「生命系」って面白い表現ですね。今、地球上に生きる生物の生息状態を指す“生態系”や、分子・細胞・個体・生態系とレベルをあげて生物の世界を空間的に包括した“生物圏”という概念に、系統という進化の歴史を統括した考えのようです。空間+時間というわけですね。

 

 

 地球上には30数億年前に生命が誕生して以来、地球上のさまざまな環境に適応しながら多様化していきました。認知されているだけで150万種の生物がいて(実際は億単位)、どの生物も、途中で何らかの形で他(宇宙とか?)から参入したものはいません。高等生物は有性生殖によって、つまり地球の有性生殖集団の掟にしたがって、みんなで一緒に進化の道を歩いてきたわけですね。

 ふだん食べる米も野菜も肉も魚も同じ。みんな30億年の生命を生き、進化の歴史を共有してきました。「あらゆる生物の個体は、1年と持ち続けることはない原子を寄せ集めた仮の生命体に、その生命を預けている。生物が生きているという事実は、それらの諸相を統合したひとつの実在を演じているということなのである」-とても印象的な一文です。

 

 

 ちなみにヒトの身体を構成する原子のほとんどは平均3カ月で置き換わり、1年経てばぜんぶ換わっているそうです。ワタシって、1年前のワタシとは別の個体なんですね。つまり、ワタシの生物学的年齢は、1歳といえるし、30数億歳ということもできる。・・・すごーく不思議な気分です。

 

 

 

 まあ、私たちは幸か不幸か、たまたまDNAを構成する塩基の数と配列の結果としてヒトになったけど、牛や豚や魚やゴキブリになってたかもしれないし、魚を食べれば魚の原子が身体に入り込む。今のワタシの身体の原子は、昨日まで海を泳いでいた魚のものだったわけです。そう考えると、何を食べるかって、ものすごい意味のあることですね・・・。

 

 

 先生は「それにもかかわらず、君は何の某という個性を強調する。個人としての尊厳を主張する。それはよろしい。強く主張してほしい。(中略)しかし自分という存在が、30数億年の生を生き抜いてきた生命によってつくられている生物であり、今日たまたま自分と言う特定の生命担架体を構成することになった原子たちの集合で自分の身体がつくられているという事実にも忠実でありたいのである」と語りかけます。

 

 「すべての生物の生命は30数億年の歴史をもち、すべての生命体はいまという瞬間にだけ自分に固有である原子の集合体としてつくられている。その意味で、すべての生物の生は、時間と言う枠にとらわれない実体で、永遠の存在としての生命を、一瞬間も同じ組み合わせではない原子によってつくられた担架体に預けている。しかも、地球上における生命の創成以来、すべての生物種は系統と呼ばれる親戚関係で結び合わされている。すべての生物は今日の日を一個体だけでは生きていけない。他の個体や他の生物種と共同し、相互に直接的・間接的な関係を維持しながら、いまという一瞬を生きている」・・・とても美しい一節です。

 

 

 その上で、環境創成について重い言葉をつづられています。

 「今という瞬間をその瞬間だけで判断してはならない。今はあくまでも歴史的展開の一断面としての今である。過去と未来を無視した現在はない。(中略)時空を超えた生を生きるための技術を開発するために、私たちは最大の努力をすべきである」

 

 「開発事業などに関わる人たちは、3年先のことは見えてこないという。海外への開発援助については、時のアセスメントが話題になるように、わずか数年の計画の実現の過程においてさえ、見直しを必要とする事例があるという。時空を超えて、などといえるような話ではない。事業そのものが消耗品なのである。恐ろしい現実ではないか。開発事業は、子孫の時代にまで益をもたらす成果を結ぶものであってほしい。(中略)孫や子の時代のことは、孫や子が自分たちで考えられるようであってほしい。彼らの時代になって、親や祖父母の犯した行為の後始末しかできないような地球をつくることは回避したい」。

 

 

 生命系という概念を提唱される先生だからこそ、「開発事業は消耗品」という言葉が出てくるのでしょうね。富士山を自然遺産としては不適格・・・なんて安易にレッテルを貼る人がいたとしたら、世界遺産登録運動を消耗品化にするなと言いたくなります。

 

 

 本書を学生の頃読んでいたら、深刻に考え過ぎて社会を信用できないネクラになっていたかもしれないけど、ずいぶん神経も図太くなったのか、「私って50回生まれ変わっているんだ・・・」な~んて自分の身体を愛おしく感じています。いずれにしても、年に1度は必ず読み直したくなる、素晴らしい本でした。


富士曼荼羅図に興奮!

2012-02-08 10:48:09 | アート・文化

 先週来、2月23日富士山の日にちなんだ取材を続けていますが、中でも個人的にトピックスだったのが、富士宮本宮浅間大社でふだんは複製画しか展示していない「富士曼荼羅図」(室町期・重要文化財)のホンモノが観られたこと! 

 

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 昨年5月から中日新聞で月1回連載している富士山特集で、再三記事で紹介し、浅間大社からお借りした画像データを眺めるだけだった作品が、3月11日まで、静岡県立美術館で開催中の「富士山の絵画2012」で展示されているんです。思わず「ホンモノだ~」っと興奮してしまいました・・・

 

 この絵の文化的価値は、こちらの記事で紹介しましたが、静岡大学の増沢先生に取材したときは、自然科学の点からも貴重な史料だということがわかりました(こちらを参照)。

 

 

 

 ふだんは目にすることのできない静岡県民の宝ともいうべき文化財です。「富士山の絵画2012」では、富士山と三保松原を組み合わせた現存最古の「富士三保松原図屏風」や、司馬江漢が油絵で描いた富士山など、見応えのある作品が並んでいます。

 作品の紹介コピーも凝っていて、

 

○じっくり味わいたい探幽富士の最高峰

○風景マニアが描かせた富士山オタクの絵

○富士山麓で起きたドラマチックな一日

○登山記録?現実と虚構の融合

○富士山デザインの源泉、和歌イメージも

 

というように、興味をそそられる言葉で紹介しています。少しでも親しみやすく、関心を持ってもらおうと、学芸員さんが頭をひねって考えたそうです。

 

 

 来年、世界文化遺産登録がかなった折には、静岡県立美術館は、富士山のお膝元にある県立の美の殿堂として、もっともっとコレクションを増やす、あるいは企画展に力を入れて、ぜひとも富士山芸術の殿堂になってほしいなあと思います。ロダン館並みに富士山専門の別館が欲しいと思うのは県民の欲張りでしょうか・・・。