しずてつバスを岡部宿柏屋前で下車しました。
すぐ前に岡部宿本陣址の公園に出ました。
園内は何もなくて広場になっていました。
内野家が元禄年間本陣職を命じられて明治になって宿場が廃止になるまで180年間代々職を継ぎました。
藤枝市の指定史跡となっていて現在整備中です。
何処にもあります。顔出し看板。
そして大旅館・柏屋(かしばや)国指定の有形文化財となっています。
天気も良くて風もないのにぶらぶらしている人がいないんですよね。
岡部宿を代表する旅籠だそうです。
入館料払って中に入ってみましょうかね。
一応弥次さん喜多さんがお出迎えということになっています。
これも何処の観光地にもありますよね。日本のどこかの工場で一手に引き受けて観光地に送り出しているのでしょうか。
奥の間では衣装なんかを貸してくれるみたいです。
かつらでもかぶって道路の真ん中で刀でも振り回していたら救急車で連れて行かれそうです。
台所
システムキッチンなんかなくても清潔そうな感じがしますね。
江戸時代でも日本人はきれい好きだったんでしょうか(現在よりもっと丁寧に台所なんかを使っていたかも)
本座敷
眺めも良く畳には縁もついていて高貴なお方が泊まった部屋です。
床の間つきです。
ご隠居が江戸時代に旅していてもこういう部屋には泊まれず二階の相部屋、畳に縁もないような所に逗留です。
東海道中膝栗毛では二人は岡部宿にやってきて大井川が川止めになっている情報をえます。
宿引「お泊りでございますか」
弥次「いや、わっちらあ日のあるうちに、川をかさにゃあならねえ急ぎの旅だ」
宿引「といっても、大井川は止まりました」
北八「南無三。川止めか」
宿引「さようでございます。よしんば先の宿においでなさっても、お大名様が五つ頭島田と藤枝にお泊りですから、あなた方の宿はございません。・・・・まずまず岡部でお泊りがご安心で」
弥次「そんなら、そうとしやしょうか」
北八「おめえは何屋だ」
宿引「相良屋と申します。すぐさまお供いたします」
昔の旅は思わぬところで余計な出費があるようです。
クレジットカードもないし、途中でコンビニでお金も降ろせないので大金もって歩いていたのでしょうか?