さて東海道を歩く続きです。
しずてつバスを宇津ノ谷入口で下車して国道1号線バイパスの陸橋を渡るとすぐに集落です。
左側の石畳を登って行きます。
初春のやわらかい陽射しが街道にあたっています。
江戸時代ははわらじの紐ををしめなおしてひたむきに歩いたことでしょう。
少し歩くと今回最大の目的である御羽織屋の蜜柑の旗が見えてきました。
豊臣秀吉が天正15年小田原城征伐の際、馬の草履を差し出した村長 忠左衛門に礼とし拝領した羽織が石川家(御羽織屋)に大切に保管されているというTVでも紹介されている名所です。
な、なんと!うっかり写真では切れていますが本日休業のプレートが・・・・・
とりあえずだめもとで声をかけてみました。
「ごめんください!ごめんください!ごめんください!」
「はいはい。なんですか?」
「今日は羽織はおやすみですか?」(変な訊き方ですよね)
「いつも説明しているおばあちゃんが風邪ひいて寝ているんだ。きょうはちょっと無理」
「房総半島の山ん中から籠乗り継いできたのに残念だなぁ。(便利な場所から来たというとまた来いといわれそうなので)どこかの市議会議員みたいにワンワン泣いてもいいですか」
「泣いたってしょうがないわね。あきらめてそのみかんでもやるから食べて行きなよ」
「夏ミカンは酸っぱいから嫌いだ」
「これはスルガエレガントといってすごく甘いんだ」少し食べると
「この夏ミカン結構美味しいね。10kg自宅に送ってくれる?」
「夏ミカンじゃなくてスルガエレガントだ。今日は寄り合いがあって忙しいから発送は明日になっちゃうよ」
「今年の大みそかまでに着けばいいよ」
「いじけなくてもいいやね。今の時期時間が経つほどおいしくなるんだ」
そうこうしているうちに寄りあいに行くご婦人方が3人ばかりが誘いに来た。
「お客さんかい?どこから来なさった?」
「千葉から来たんだけどおばあちゃんが病気で羽織見れないんだ」
「そりゃあ可哀相だ。見せるだけだった時間かからないから待ってあげるよ」と石川さんに言ってくれた。
話が思わぬ方向に行きそうでにんまりしてご婦人たちと何度もうなずく。
「しょうがないね。今雨戸開けるから見るだけ。いつもは200円だけどおまけして100円でいいや」
左側の雨戸をあけると400年以上たった秀吉公の羽織がありました。
中の写真は一切だめということなので興味のある方は現地に行ってください。
いろいろな人のブログを見ているとおばあちゃんと縁側に座って中もチラリと見える写真や家康公から拝命された茶碗が写っているものもあります。
しかし今日は代理の人ですので(お嫁さんかな)余計なことさせるとおばあちゃんにあとで怒られるのかもしれません。指示に従いました。
いろいろ出かけて大きな博物館に国宝級の物品が淡い光の中で鎮座していてもあまり感激しないのも多いようです。他人事。
ここは1590年に秀吉公が小田原攻めに勝利して上機嫌で「この間はありがとさん!褒美にこの羽織をくれてやるわ」と馬の上から放り投げた姿が目に浮かぶようです。
527年前の事です。ちょっとしたオーラです。
感激して先に進みましょう。
のんびりと・・・田舎と言っては失礼ですがいい犬がいます。
この坂を登って行くのですが感激してお腹もすいたので右折して「蕎麦処きしがみ」に寄りました。
店内はとても綺麗で眺めも良かった。
そば粉のつなぎに水だけを使用した細打ちの十割蕎麦。つなぎをつかわないでよくもまあこんなに細い蕎麦になるなと感心しました。
先ほどの階段に戻って歩きます。
峠から宇津の集落。山村とも言えますが屋根が綺麗でみんな金持ちそうですね。
明治9年に竣工したレンガ造りの明治トンネル(国登録有形文化財)
山道をさらに進みます。
日本は世界でも有数な植林面積(人工林)を持つ国なのですね。
内地材をたくさん利用して日本の山、自然を守りたいですよね。
突然国道1号線のバイパスをまたぐ歩道橋に出ました。
左側にしずてつのバス停があり、そこから先の側道に入り陸橋の下を通って左折すると岡部宿です。
東海道中膝栗毛では
鞠子宿でとろろ汁屋の夫婦ケンカ大騒ぎを見ておかしさをこらえて宇津ノ谷にやって来ます。
それより宇津の山にさしかかったが雨が次第に篠を乱すように降りしきり蔦の細道を心細くも杖を力に十団子の茶屋近くになって弥次郎が坂道を転がり落ちた。
降りしきる雨やあられの十団子 ころげて腰をうつの山道
十団子は小さな団子十固を串刺しにした峠の茶屋の名物(江戸時代)現在はお守りとして親しまれています。
あられ、団子がころげる、腰を打つ、宇津の谷とごろ合わせが面白いですね。