尿前の関(しとまえのせき)にやって来ました。
鳴子駅方面から47号線を2km程行くと右にそれる旧道がありました。
何となく汚らしい名前です。
源義経一行が連れてきた子供がここでオシッコをしたとか「シト」とは湿地とか窪地という意味もあるそうです。
確かに階段を下ると大きな窪地になっています。
面積1760坪、周囲は切石垣の上に土塀をめぐらし、屋敷内には役宅を始めとして10棟もの建物があり規模が大きかったようです。
出羽街道の中山越えは交通の要所で警備が厳重だったそうです。
曾良の日記にも「尿前関所有断六ヶ敷(ことわりむつかしきなり)出手形ノ用意可有之(これあるべき)也」とあります。
芭蕉一行も手形がなかったので疑われたようです。
こんな山深い所で毎日怪しげな奴が通るかなどと過ごしている検断の人は普通の人でも少しいじめてやるかなどという気分になるかもしれませんね。
この時の検断は九代甚之氶という人でした。
いよいよここから中山峠越えです。中でも大深沢は出羽街道最大の難所だそうです。
尿前の関から山形県との県境までは8.9km、芭蕉一行は雨に打たれながら三時間ぐらいはかかったのではないでしょうか。
我々はここで撤収です。駅まで戻り磐越東線に乗って西を目指します。
奥の細道(尿前の関)中ほど
此道旅人稀なれば、関守にあやしめられて漸(ようよう)として関をこす。大山をのぼって日既に暮れれば、封人の家を見かけて宿を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
この道は旅人稀な所なので関所の番人に怪しまれてやっとのおもいで超えることが出来た。大きな山を登って行くうちに日も暮れてしまったので国境の番人の家を見つけて宿を頼んだ。
「いやぁ!ねちねちやられてまいりましたね」
「義経一行もこの辺りを逃げてきたので誰彼見ても疑うのかもねぇ」
「こんな立派な顔した我々を何だと思っているんだ」
「君はさっきはシュンとしていたが災いが過ぎると急に元気が出るね」
「確かに曾良さんはともかく僕は押し出しの良い顔していると思うだが」
「なに言ってるんだか。最近自分の顔を鏡で見たことないんじゃないですか。私以上じゃありませんよ」
「君は口が達者なんだから弁慶みたいに空白の勧進帳でも朗読して役人を煙に巻いてくれるかと思ったよ」
「すみません。強いものヘイコラで」
「ところで急な坂道の上に雨が降ってきました」
「・・・・・・・・・」
「小深沢というところです。一休みしよう」
「・・・・・・・・・」
「いつもこまめに記録したりたのみもしないのにベラベラ喋っているのにお腹でも痛いのかい」
「いやぁ、実の所本当に疲れてぐうの音も出ませんよ。コンビニでコーヒーでも飲むとかタクシーでも呼びたい気分です」
「しかしここだけ空白にしておくとおかしいよ」
「そうだ!翁は後世の人が隠密だったのではないかという説があります。少し空白にしておいてこの間、伊達藩の隠し金山を探していたとか想像するようなことチョッコト書いてみましょうか」
「君は俳句よりシナリオ作家にでもなった方が向いているかもね」
「さあさあ雨の中を頑張りましょう」
封人の家は後日紹介します。
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