周遊バスに乗り七日町通りに出て白木屋前の停留所で下車してみました。
会津若松には30年ぐらい前に来ただけなので初めて来たようなものです。ものすごくお洒落な街になっています。
休日に知らない街をぶらぶらするのは楽しい気分です。
白木屋漆器店
新島襄や八重の泊まった清水屋旅館跡
なんの店だったかなぁ?
こんな感じの店舗が沢山あります。
末廣酒造
さて野口英世青春通りに出ました。
福島県と言えば野口英世ですよね。
野口英世青春館
に入ってみました。
よく知っている話では子供の頃囲炉裏でやけどした話です。それは実家のほうで猪苗代湖湖畔にあります。
ここはその後、野口英世がやけどで負った傷の手術を受け、その奇跡に感動して医学を志し進んで書生になった会陽院跡です。
昔は医学部など行かなくても薬局生として学び医術開業試験に合格すればよかったそうです。合格するために猛勉強したそうです。
「ナポレオンは3時間しか寝なかった」と英世自分も実行したとか。とにかく生涯を通じて寝る間も惜しんで勉強したようです。
でも会津女学校の山内ヨネという女学生に初恋をしてラブレターなども送っています。しかし恋は実らず渡米したのちメリー夫人と結婚します。
偉い人は何事にも情熱的に経験していくようですね。
今まで勉強不足で野口英世という人は日本から直接アフリカに渡って黄熱病になって亡くなったと思っていました。
しかしその前にアメリカ、ペンシルバニア大学のフレスキナー博士の助手として毒蛇の研究やスピロヘータ純粋培養でかなりの実績を残していたみたいです。
それではかなり感動した後は自分には絶対に無理だ、今迄どおりだらだら生きていこうと気持ちを新たにして又バスに乗り御薬園に向かいました。
室町時代に霊泉が湧きだしたこの地に別荘を建てたのが始まりだそうです。
以来会津の歴代藩主が利用してきました。
三大藩主、松平正容(まさかた)のとき、朝鮮人参の栽培に成功して広く作付を推奨したことから「御薬園」と呼ばれるようになりました。
藤の花が綺麗でした。
心字の池と
楽寿亭(左)・・・江戸時代の中期数寄屋風建築。萱葺きの屋根と細い柱が特徴
御茶屋御殿(右)・・・戊辰戦争の時は西軍傷病者の治療所になりました。建物の内部にはその頃の刀傷があります。
まだまだ見物するところは沢山ありそうです。次は会津武家屋敷に行ってみます。