いよいよ 13日 盛岡一高登場!
わが母校であり 一番愛する高校野球チームの登場!
このチームなくして わがHP無しっ
このチームなくして わが白堊バガ人生無しっ
このチームなくして 平舘俊弥無しっ
さて、
ここで 【白堊野球記憶に残る3つの打球】
■その1 ⇒ 関連記事 白堊野球物語
昭和43年夏甲子園準々決勝:盛岡一高 vs 興南
最後の打者、5番高橋寿主将の打球はセンター後方への大飛球だったと記憶している。確かランナーがいて 「あわやホームラン!」 の当たりだった・・・判官びいきの観客、沖縄独特の指笛による大応援が口惜しくて口惜しくて 涙混じりに応援していた小学校6年の夏だった。
■その2 ⇒ 白堊野球物語
昭和49年夏県大会2回戦:盛岡一高 vs 花泉
延長10回裏、花泉高校バッターの打球がセンター平原の頭上を越えて 春の県大会準優勝の盛岡一高、痛恨のサヨナラ負け。溢れ出る涙と降り続く雨でぐちゃぐちゃになりながら やっとの思いで家にたどり着いた盛岡一高3年生の夏だった。
■その3
昭和61年夏県大会決勝:盛岡一高 vs 一関商工
4-2で迎えた8回表、一関商工に3点を許し逆転された盛岡一高の1点を追う最終回。確か一二塁にランナーがいたような気がする・・・二死後、バッターボックスに立ったのは連投に継ぐ連投でチームを支えて来たエース高橋直人。
高橋の打球は右中間深くへ!
そのまま伸びれば、逆転サヨナラ打!
息を呑む 一塁側盛岡一高応援席。
が、無常にも打球は右翼手のグラブに納まった。
昭和50年以来2度目の決勝観戦も準優勝に終わった、娘が1歳の誕生日を迎えた夏だった。
関連記事:06.1.12白堊野球
(続きを読む)をクリック!でもいいで~す
13日の雫石球場第1試合
盛岡一高を愛する皆さんっ
声を張り上げ!
拳を突き上げ!
肩を組み!
応援しましょう!
がんばれ 盛岡一高
勝つぞ 盛岡一高
***** 以下の文面は「06.1.12白堊野球ブログ」より引用 *****
まずは 前段(予備知識)ということで。
「日々雑感」2005年2月10日 『あの学校・この選手』 に一高×箕島戦の記述をしました。以下の通りです。
≪和歌山≫ 「箕島」・・・島本講平、東尾修、尾藤監督
島本の時、S45夏全国制覇(他にもいっぱい優勝している)。
元西武監督・東尾はS43選抜ベスト4。S40の平松(選抜・岡山東商)、木樽(夏・銚子商)に並ぶ「俺はこいつらを高校時代から知ってる!(自慢)」の選手。てっきり優勝してると思っていたがベスト4だったようだ。
尾藤監督はS61春、岩手県営球場の一高ー箕島戦(招待試合)で見た。
あの時は確か県優勝校と盛岡地区代表校が対戦することになってて、たまたま優勝=盛岡だったので一高に回って来たのではなかったかな!?
スコアは0-5か0-6だったと思うが、試合後の尾藤監督のコメント
「いや~、盛岡一高の投手、以外に打てそうで打てなかったですわぁ~。そんなに球が速いわけじゃないんですけどね~。なんでかはわかりません。。。」(首をかしげる)
小生も「なんだが~特徴ない投手だが、箕島相手に結構いいピッチングだったな~。なんぼが、夏期待でぎるがな・・・」と思った。
この投手こそこの年の夏・決勝で一関商工と死闘を演じた高橋直人である!
~ そうしたところ 「掲示板」 に下記投稿戴きました ~
S61箕島戦 投稿者: S62村田 投稿日: 2月12日(土)07時06分18秒
S62卒の(キャッチャーじゃない方の)村田と申します。
もう19年も前のS61箕島-一高戦を覚えていて下さってとても嬉しいです。
この年は秋期・春期となかなか好調で、応援委員としては「今年は行ける!」と自信を深めていたものです。
「おかわりこい」を甲子園出場まで完全封印することを決めたのも、
この箕島戦で更に自信が確信へと深まったからです。
今年のチームの雰囲気は何となく当時のチームを彷彿させるものがあります。
今年もOB席から盛り上げますよ~
最近OB席に来てくれるOB諸兄が減ってきていますよ~
OBももう少し顔出してくれ~ 特に20代の若い世代求む!
~ したっけば、昨夏 「掲示板」 に下記投稿戴きました ~
箕島戦 投稿者: 八番サード 投稿日: 8月26日(金)19時15分40秒
またまた投稿させていただきます。箕島戦は当時、高野連の招待試合として対戦(前年度は桑田、清原のPL学園でした)できました。春の県大会優勝校(確か黒工)と盛岡地区で一番成績が良かった学校が対象で、盛岡一高はベスト4に食い込み、貴重な試合の出場権を獲得しました。とにかくバカスカ打たれて(14安打ぐらい)首が痛くなったのを覚えています。一高は頭脳派捕手の村田の2ランホームランのみ。2安打しか打てませんでした。スコアは2-6だったと記憶してます。尾藤監督の言葉はよく覚えてますが、当時の川村監督も同じこと言ってました(笑)八番サードは2年生のときもそんな打順とポジションでしたから、気にしてません(笑)
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そうです!
ご本人からのお便りだったのです
わが母校であり 一番愛する高校野球チームの登場!
このチームなくして わがHP無しっ
このチームなくして わが白堊バガ人生無しっ
このチームなくして 平舘俊弥無しっ
さて、
ここで 【白堊野球記憶に残る3つの打球】
■その1 ⇒ 関連記事 白堊野球物語
昭和43年夏甲子園準々決勝:盛岡一高 vs 興南
最後の打者、5番高橋寿主将の打球はセンター後方への大飛球だったと記憶している。確かランナーがいて 「あわやホームラン!」 の当たりだった・・・判官びいきの観客、沖縄独特の指笛による大応援が口惜しくて口惜しくて 涙混じりに応援していた小学校6年の夏だった。
■その2 ⇒ 白堊野球物語
昭和49年夏県大会2回戦:盛岡一高 vs 花泉
延長10回裏、花泉高校バッターの打球がセンター平原の頭上を越えて 春の県大会準優勝の盛岡一高、痛恨のサヨナラ負け。溢れ出る涙と降り続く雨でぐちゃぐちゃになりながら やっとの思いで家にたどり着いた盛岡一高3年生の夏だった。
■その3
昭和61年夏県大会決勝:盛岡一高 vs 一関商工
4-2で迎えた8回表、一関商工に3点を許し逆転された盛岡一高の1点を追う最終回。確か一二塁にランナーがいたような気がする・・・二死後、バッターボックスに立ったのは連投に継ぐ連投でチームを支えて来たエース高橋直人。
高橋の打球は右中間深くへ!
そのまま伸びれば、逆転サヨナラ打!
息を呑む 一塁側盛岡一高応援席。
が、無常にも打球は右翼手のグラブに納まった。
昭和50年以来2度目の決勝観戦も準優勝に終わった、娘が1歳の誕生日を迎えた夏だった。
関連記事:06.1.12白堊野球
(続きを読む)をクリック!でもいいで~す
13日の雫石球場第1試合
盛岡一高を愛する皆さんっ
声を張り上げ!
拳を突き上げ!
肩を組み!
応援しましょう!
がんばれ 盛岡一高
勝つぞ 盛岡一高
***** 以下の文面は「06.1.12白堊野球ブログ」より引用 *****
まずは 前段(予備知識)ということで。
「日々雑感」2005年2月10日 『あの学校・この選手』 に一高×箕島戦の記述をしました。以下の通りです。
≪和歌山≫ 「箕島」・・・島本講平、東尾修、尾藤監督
島本の時、S45夏全国制覇(他にもいっぱい優勝している)。
元西武監督・東尾はS43選抜ベスト4。S40の平松(選抜・岡山東商)、木樽(夏・銚子商)に並ぶ「俺はこいつらを高校時代から知ってる!(自慢)」の選手。てっきり優勝してると思っていたがベスト4だったようだ。
尾藤監督はS61春、岩手県営球場の一高ー箕島戦(招待試合)で見た。
あの時は確か県優勝校と盛岡地区代表校が対戦することになってて、たまたま優勝=盛岡だったので一高に回って来たのではなかったかな!?
スコアは0-5か0-6だったと思うが、試合後の尾藤監督のコメント
「いや~、盛岡一高の投手、以外に打てそうで打てなかったですわぁ~。そんなに球が速いわけじゃないんですけどね~。なんでかはわかりません。。。」(首をかしげる)
小生も「なんだが~特徴ない投手だが、箕島相手に結構いいピッチングだったな~。なんぼが、夏期待でぎるがな・・・」と思った。
この投手こそこの年の夏・決勝で一関商工と死闘を演じた高橋直人である!
~ そうしたところ 「掲示板」 に下記投稿戴きました ~
S61箕島戦 投稿者: S62村田 投稿日: 2月12日(土)07時06分18秒
S62卒の(キャッチャーじゃない方の)村田と申します。
もう19年も前のS61箕島-一高戦を覚えていて下さってとても嬉しいです。
この年は秋期・春期となかなか好調で、応援委員としては「今年は行ける!」と自信を深めていたものです。
「おかわりこい」を甲子園出場まで完全封印することを決めたのも、
この箕島戦で更に自信が確信へと深まったからです。
今年のチームの雰囲気は何となく当時のチームを彷彿させるものがあります。
今年もOB席から盛り上げますよ~
最近OB席に来てくれるOB諸兄が減ってきていますよ~
OBももう少し顔出してくれ~ 特に20代の若い世代求む!
~ したっけば、昨夏 「掲示板」 に下記投稿戴きました ~
箕島戦 投稿者: 八番サード 投稿日: 8月26日(金)19時15分40秒
またまた投稿させていただきます。箕島戦は当時、高野連の招待試合として対戦(前年度は桑田、清原のPL学園でした)できました。春の県大会優勝校(確か黒工)と盛岡地区で一番成績が良かった学校が対象で、盛岡一高はベスト4に食い込み、貴重な試合の出場権を獲得しました。とにかくバカスカ打たれて(14安打ぐらい)首が痛くなったのを覚えています。一高は頭脳派捕手の村田の2ランホームランのみ。2安打しか打てませんでした。スコアは2-6だったと記憶してます。尾藤監督の言葉はよく覚えてますが、当時の川村監督も同じこと言ってました(笑)八番サードは2年生のときもそんな打順とポジションでしたから、気にしてません(笑)
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そうです!
ご本人からのお便りだったのです