2007年8月26日の記事です。
「ぼくたちの失敗」
春のこもれ陽の中で
君のやさしさに
うもれて いた ぼくは
弱虫 だったんだヨネ
君と話し疲れて
いつか 黙りこんだ
ストーブ変わりの 電熱器
赤く燃えていた
地下のジャズ喫茶
変われない ぼくたちがいた
悪い夢のように
時がなぜてゆく
ぼくがひとりになった
部屋に きみの好きな
チャーリーパーカー見つけたヨ
ぼくを わすれたかナ
だめになったぼくを見て
君もびっくりしただろう
あの子は まだ 元気かい
昔の 話しだネ
春のこもれ陽の中で
君のやさしさに
うもれて いた ぼくは
弱虫 だったんだヨネ
♯ぼくたちの失敗
森田童子「マザー・スカイ」
きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか より
何年ぶりかで、森田童子の曲を聴いた。
俺が大学生1、2年の頃に買ったテープだから、かれこれ30年は経っている。
金の工面に苦労した親父は、墨田区八広で小さい町工場を営んでいる叔父の所でアルバイトを続けることを条件に東京の私立大学進学を許してくれたのだった。下町の叔父の監視の下、工場近くの五月荘っていうオンボロアパートでの6畳一間の暮らしに1年で音を上げた俺は、大学移転を理由に行き先も告げずにアパートを出て調布に移り住んだ。
悲しい時は ほほをよせて
淋しい時は 胸を合わせて
ただふたりは 息をこらえて
虫の音を 聞いていました
そんな淋しい 夏の終わりでした
悲しい時は ほほをよせて
淋しい時は 胸を合わせて
ただふたりは 目を閉じて
眠るのを 待っていました
そんな淋しい 夏の終わりでした
悲しい時は ほほをよせて
淋しい時は 胸を合わせて
ただふたりは 夜のふちへ
ふるえて 旅立つのでした
そんな淋しい ふたりの始まりでした
♯ピラビタール
森田童子「マザー・スカイ」
きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか より
大学には簿記の勉強以外はほとんど行かなかった。「金送って欲しい」 と、親父に無心をしては、本を買い漁る毎日。現実逃避の毎日だった。
秋の訪れを少し感じさせてくれる休日。
森田童子の曲を聴きながら、こんなことを思い出した。当時は、中島みゆきは勿論のこと、山崎ハコ、倉橋ルイ子をよく聴いた。
俺らしくない、こんな休日があってもいいかな。。。
「ぼくたちの失敗」
春のこもれ陽の中で
君のやさしさに
うもれて いた ぼくは
弱虫 だったんだヨネ
君と話し疲れて
いつか 黙りこんだ
ストーブ変わりの 電熱器
赤く燃えていた
地下のジャズ喫茶
変われない ぼくたちがいた
悪い夢のように
時がなぜてゆく
ぼくがひとりになった
部屋に きみの好きな
チャーリーパーカー見つけたヨ
ぼくを わすれたかナ
だめになったぼくを見て
君もびっくりしただろう
あの子は まだ 元気かい
昔の 話しだネ
春のこもれ陽の中で
君のやさしさに
うもれて いた ぼくは
弱虫 だったんだヨネ
♯ぼくたちの失敗
森田童子「マザー・スカイ」
きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか より
何年ぶりかで、森田童子の曲を聴いた。
俺が大学生1、2年の頃に買ったテープだから、かれこれ30年は経っている。
金の工面に苦労した親父は、墨田区八広で小さい町工場を営んでいる叔父の所でアルバイトを続けることを条件に東京の私立大学進学を許してくれたのだった。下町の叔父の監視の下、工場近くの五月荘っていうオンボロアパートでの6畳一間の暮らしに1年で音を上げた俺は、大学移転を理由に行き先も告げずにアパートを出て調布に移り住んだ。
悲しい時は ほほをよせて
淋しい時は 胸を合わせて
ただふたりは 息をこらえて
虫の音を 聞いていました
そんな淋しい 夏の終わりでした
悲しい時は ほほをよせて
淋しい時は 胸を合わせて
ただふたりは 目を閉じて
眠るのを 待っていました
そんな淋しい 夏の終わりでした
悲しい時は ほほをよせて
淋しい時は 胸を合わせて
ただふたりは 夜のふちへ
ふるえて 旅立つのでした
そんな淋しい ふたりの始まりでした
♯ピラビタール
森田童子「マザー・スカイ」
きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか より
大学には簿記の勉強以外はほとんど行かなかった。「金送って欲しい」 と、親父に無心をしては、本を買い漁る毎日。現実逃避の毎日だった。
秋の訪れを少し感じさせてくれる休日。
森田童子の曲を聴きながら、こんなことを思い出した。当時は、中島みゆきは勿論のこと、山崎ハコ、倉橋ルイ子をよく聴いた。
俺らしくない、こんな休日があってもいいかな。。。
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