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ローマ世界の終焉(上)ー塩野七生

2022年06月15日 | 読書
評価5

再読(前回2020年9月27日)。
テオドシウス病死(395年)後ローマは東西に分かれ、西ローマの実権を握った将軍スティリコは西ゴート族、東ゴート族の進攻、ブリタニアの反乱ローマ軍の南下への対応に追われたあげく元老院に謂れ無き反感を買い、国家反逆罪で処刑されてしまう。そして、410年ローマはアラリック率いる西ゴート族に建国以来初めての首都進攻を許してしまうのだった。

蛮族出身の父、ローマ人の母を持つ(いわゆる半蛮族)「最後のローマ人」と称された軍総司令官スティリコは、407年元老院の承認のもとに西ゴート族との同盟協定を結んだのだが、しぶしぶながらも蛮族出身者の意見に賛成せざるを得なかった元老院議員の中には反感を抱く者も多かったのである。死刑宣告の罪状は「蛮族と共謀してローマ帝国打倒を謀った罪」であった。

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