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母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

3年前

2014年03月11日 | 東日本大震災
その時、俺は会社4階で仕事中。
何の仕事をしていたのか覚えていない。

14時46分

大きな揺れが来た。
ニュージーランドの地震の記憶があるので大きめな柱に向う。
事務所にいた数人が集まる。

いつものことで、ほどなく終わると思った揺れだった。
揺れは収まらず、逆に強く大きくなる。

「長いっ!」

どこからともなく声が上がった。

みんなの顔から血の気が失せて行く。

何分経っただろう、一旦、揺れが収まった。
でも、何度も間断なく揺れが襲って来る。

耐震強度に難有りと言われていた建物だ。
「いつまで持つだろう」という恐怖が俺を襲う。
どこからも行動についての指示が出ない。
ただ揺れに任せているだけだ。

俺は居ても立ってもいられなくて階段を下りて外に出た。
会社同僚や近くの生命保険会社の従業員がたくさん集まっている。
また大きな揺れが来た。
電信柱が大きくしなり、川向こうの岩手公園地下駐車場あたりから白い蒸気がモクモクと湧き上がっているのが見える。

誰かが会社から出て来てこう行った。

「このまま家に帰っていいそうです!」

幸い、いつでも帰れる用意で出て来た俺はすぐさま自宅に向った。

初めて見る全ての交通信号が消えた盛岡の街。

共同住宅のエレベータは当然止まっている。
階段を駆け上がり家に入って各部屋を確認。
仏壇の仏具が落ちて線香の灰が散らばっている。
本棚の雑誌が散乱。

電気は点かないが、ガスが使えることを確認。
インスタントラーメンがあったので数日間はしのげることがわかった。
その後、電動ポンプが作動せず、水道は使えなくなる。

電池をラジカセに入れてラジオを聴く。
内容は覚えていない。
携帯電話は電池が切れる寸前でラジオだけが頼りだが、この時点で津波や原発のことはなにもわからなかった。

暗くなって来た。
仏壇のローソクに火をともす。
寒くなって来たので蒲団に入ってうとうとする。
電池の減り具合を気にしながらもラジオを聴き続ける。
内容は覚えていない。
翌朝までどう過ごしたかも覚えていない。

そして、翌日の夜、盛岡の街に灯りが戻った。

その後、
大震災についてのあるブログ記事に対して俺は批判的なことを書いた。
俺の記事やコメントも批判された。
その流れで共に高校野球を応援して来た二人との縁が切れた。
ネットを通じた繋がりなんてもろいものだ。

あれから4度目の3月11日。
お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

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