数日前に、今年は台風がこなくていいなぁ、なんていうほのぼの感でいたのだれど、週間予報はあっいう間に崩れ、今週末は房総半島にも接近してきそうなお天気に変わってしまった。
7日から雨降りの日が続いているけれど、だんだん台風の感が強くなってきた。
午前中の雨やみを使って、鉢物を退避させたり、雨樋のつまりの点検・掃除をした。
昨年の台風では離れの庇にはってあるポリカトタンが浮き上がったので、ブロックをのせた。
さんざんになった後の後片付けは辛い。
転ばぬ先に、の思いである。
明日は、公園清掃のシルバーバイト。
明日あたりが、房総半島に被害がでるピーク時間との予報も出ている。
昨年の大雨台風の当日も、シフトにあたり、土嚢積みやポンプでの排水作業など、さんざんだった。
集中豪雨、暴風雨のただなかは、土嚢積みやポンプでの排水作業などではどうにもならない。
少しでも安全な場所で、じっと耐えて、時を過ごすしか術はない。
今回はうまくずれて房総沖の太平洋上を進んでくれるいいのだけど。
それなら暴風雨の大暴れでもぜんぜんいい。(笑)
実は、いつもこんな自分中心、軽いノリで生きている。
個人の小さな因果の問題は、心がけしだいで解消できることもあるけれど、さんざんやってきてしまった結果の自然界のしっぺ返しには、今日、どんなに祈ったって、拝んだって、自然の動きは変えられない。
どんな状況になっても、自分につながる父母、それ以前のご先祖がいいと思ってやってきた結果であり、今を生きている自分が受け止めるしかない。
あ~、おらの中に、死んだとうちゃんも、かあちゃんも、ばあちゃんも、あったこともないけれどじいちゃんもいるんだなという感覚は、今は生きる上で大切な感性だと思う。
みんながやってきた結果をしっかり受けめて、いつもの自分で、今できることをするしかない。
そう思う。
台風14号の発生、動きに「女心と秋の空」という言葉が頭に浮かんだ。
男女の関係では、言葉のような面もあるかなと思うけれど、生きる上での条件・環境の変化で思いを変えるのは女心だけではないだろう。
拙い経験だけれだも、男心だってコロコロ変わる。
自分を第一に周りに合わせて生きる。これもとても人間らしい行動だ。
悪くはない。
女心は今の生活に根ざす所が多いので、こんな言葉もできたのだろうけれど、女が母となり、子を思う心となると、これは凄まじい。
「母は強し!」と思う。
これも女性に安定的な職業がなく、社会も貧しかった昭和の時代のなごりかもしれないけれど、すくなくとも、私の母は凄まじかった。
今は、本当にありがたいと思う。
意思の強さは、女心に軍配かな。
中世・近世の歴史を興味本位に読んでみても、人の系譜を紡いでいくのは、女性なのかもと思う昨今である。
後半は、余談である。