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インドシナ半島 経済回廊を走る

2013-06-22 11:12:14 | 海外ネットワーク
6月9日 NHK海外ネットワーク

経済成長が続き日本企業の投資先としても注目を集める東南アジアのインドシナ半島。
現地では活発な経済活動を支えるため国境を超えた幹線道路網の整備が進められている。
長距離の大型トラックが通れるように既存の道路を整備したり川に橋をかけたり
地域の一大物流インフラを築こうという動きが加速している。
中国からタイまでを結ぶ幹線道路は南北回廊と言われている。
ミャンマーからタイを通ってベトナムを結ぶ東西回廊はインドシナ半島を横断する。
最近注目されている南部回廊は
バンコク、プノンペン、ホーチミンの3大消費地をつなぐ全長約100キロのルートである。
毎年6%を超える経済成長を続けるカンボジアを通るため現地の企業の期待も高まっている。
バンコクからプノンペンに向けて物資を送り始めた日本企業も出ている。

大型トラックが連なる南部回廊。
市場拡大のチャンスを現地の日系企業にもたらしている。
バンコク郊外にある味の素の工場は
タイで作った調味料を回廊を使って隣国カンボジアに出荷できるようになった。
カンボジアの首都プノンペンまでの距離は約700キロ。
まずはカンボジアとの国境を目指す。
9年前までは片側1車線の狭い道だったが中央分離帯が設けられ格段に安全になった。
(運転手)
「今は車線が増えて運転しやすくなった。」
出発から4時間後 国境に到着。
しかし通関手続きを待つトラックの長い列ができていた。
順番が来るまで思い思いの方法で待つ。
国境に押し寄せるトラックが増え行列が絶えない。
窓口にたどり着くまで3時間以上かかることも少なくない。
国境を超えたカンボジア側の最初の町ポイペト。
回廊によって陸の孤島だった町は大きく変わった。
人や物が頻繁に行き交いお酒やアクセサリーなど様々な輸入品も手に入るようになった。
(地元の女性)
「ポイペトがこんなに発展するとは思わなかった。
 このあたりはジャングルだった。」
回廊が通るあたりはかつてカンボジアの内戦中ポルポト政権側の拠点だった激戦地だった。
今も地雷除去活動が行われ1日に2,3個の地雷が見つかっている。
回廊の整備に伴いホテルや住宅を建設するため地雷撤去の作業が急ピッチで進められている。
(地雷撤去の担当者)
「都会の人たちがここまで来て土地を買っている。
 ホテルなどの大きな施設も建てられるようになった。」
無事にカンボジアに入った調味料を積んだコンテナは別のトラックに移し変えられる。
ここからトラックを運転するポク・トーンさん(29)。
首都プノンペンまで残り約400キロ。
しかしカンボジアに入ると道路の様子が一変する。
路のいたるところに空いた穴のためトラックは上下に激しく揺れる。
速度を落として慎重に走るしかない。
カンボジア側の約50キロの区間は日本の支援で片側2車線に広げることが決まった。
日が暮れると街灯がないためあたりは真っ暗になりヘッドライトだけが頼りになる。
そんな道で左から追い越しをかけるトラックも・・・。
(ポク・トーンさん)
「jクラックて見えにくいので走るのが大変。
 途中で車が止まっていたり明かりがついていない場合もあり心配。」
途中道路沿いの食堂で休憩。
神経をすり減らして運転を続けてきたポクさんは今後回廊の整備がさらに進むことを期待している。
(ポク・トーンさん)
「将来は明るい。
 もっといい道路になってほしい。」
国境を出発して12時間の午前2時にようやくプノンペンに到着した。
袋詰めをする工場の横にトラックを止めて仮眠をとる。
午前8時に工場が開くのを待って荷物を搬入した。
1か月で7往復する厳しい仕事である。
(ポク・トーンさん)
「途中で眠くなったり運転が大変な時もあるが無事に終わってホッとしている。」
回廊で遠路はるばる運ばれてきた調味料はこの工場で袋詰めされ
カンボジアの消費者の元に届けられる。
回廊で大きく変わる物流。
日系企業にとってもこの変化にいかに乗るかが
今後のビジネスの成否を決めるという。
(味の素 現地法人 大谷直行社長)
「経済回廊でカンボジア、隣国の関係が緊密になることのメリットを感じている。
 産業が発展し経済が発展していくいい循環になってくると思う。」

この南部回廊は今後は
民主化に伴って経済の発展が見込まれるミャンマーとも結ばれる計画である。
インドシナ半島はかつてベトナム戦争はじめ内戦の舞台になってきた。
1980年代には当時のタイの首相が
“インドシナを戦場から市場へ”と呼びかけたことがあったが
その悲願が今現実のものとなろうとしている。
ASEAN各国は再来年
域内の関税を撤廃して市場を統合する経済共同体の設立を目指している。
これに合わせてそれぞれの回廊も全線開通に向けた動きが進んでいく見通しである。




















コメント

いつの日か 花を咲かそうよ

2013-06-22 08:25:04 | 編集手帳
6月6日 編集手帳

おとといの新聞を整理していて、
『安倍首相の一日』欄に「ザンビア」の名前を見つけた。
アフリカ開発会議に来日したサタ大統領と会談したという。
日本とは奇縁で結ばれた国である。

独立したのは1964年10月24日、
東京オリンピック閉会式の日である。
2週間前の開会式にはイギリス保護領「北ローデシア」として入場行進をしている。
五輪の開会式と閉会式で名前が異なるめずらしい例だろう。

乱舞、乱舞の閉会式では、
どこかの国の選手がザンビアの旗手を肩車して祝福した。
実況のアナウンサーが声をからす。
「泣いています…笑っています…」

<泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ…。>
喜納昌吉さんの名曲『花~すべての人の心に花を~』は
この日の感銘が歳月のなかで発酵して生まれたと聞く。

サハラ以南では5~17歳の4人に1人が「児童労働者」である厳しい現実も、
今回の会議で報告されている。
天然資源の豊富なアフリカ諸国と、
技術をもつ日本と、
手を携えて成長し合う盟友の関係を一日も早くつくらねばなるまい。
すべての人の心に花を、
である。
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