1月30日 編集手帳
吉野弘さんに『眼(め)・空・恋』と題する詩がある。
〈私は断言する
見るに値するものがあったから
眼が出来たのだと〉。
値するものとは、
たとえば美しい空であり、
恋人だという。
〈今一つ私は断言する
美しいものは
眼の愛に射られて
より美しくなってゆくと〉。
わずか3年余りの生涯である。
その子にも、
見るに値するものがこの世にあっただろうか。
まなざしの愛で射抜いてみたいほど美しい何かに出会えただろうか。
東京都大田区の新井礼人(あやと)ちゃん(3)である。
「にらんだ」と、
ただそれだけの理由で、
同居している母親の交際相手(20)から凄(すさ)ま じい暴行を受けて死んだ。
短い人生の最後に、
目はどんな風景を見たのだろう。
「飛び降りて死んでしまえ」と連れ出されたベランダか。
床に突き立てられた包丁か。
体ごと投げつけられたガラスケースか。
繰り返し顔を打つ男の手か。
脳天や肩に降ってくる格闘ワザ「かかと落とし」の足か。
これを虐待死とは呼ばせない。
虐殺である。
新聞に
、あどけない目をした遺影が載っている。
罪に見合う罰に思いをめぐらせるとき、
ある二文字が脳裏を離れない。