4月14日 キャッチ!
フランスとスペインにまたがるバスク地方は独自の言語や文化を持ち
観光地として知られているが
特に人々を魅了しているのがおいしい料理である。
大西洋に面したサン・セバスチャン。
海の幸がおいしい美食の町として知られている。
市場には魚をはじめ新鮮な食材がズラリ。
「バル」と呼ばれる居酒屋カウンターに並ぶのは
地元の人が食事の前に前菜として楽しむピンチョスと呼ばれるオープンサンドイッチ。
(来店客)
「やっぱりピンチョスが最高だよ。」
「この町の食べ物はバリエーションが豊富ね。
色もカラフルで味も上品なのよ。」
どうしてこの町にはおいしいモノがあふれているのが。
その理由の1つに
このバスク地方ならではの食事の集い“美食クラブ”があるという。
夕方 建物の地下の隠れ家のような部屋に地元の人たちが集まった。
おもむろに始まったのは料理。
キッチンに立っているのも
料理を待っているのも
すべて男性である。
19世紀後半に始まった地元で「チョコ(美食クラブ)」とも呼ばれるクラブ。
もともとは職種ごとの組合から発足したため
男性だけが入会を許されている。
この日のメニューは
アサリとグリンピースのリゾットや牛肉のステーキなど。
地元でも最高の食材ばかり使った料理である。
(クラブメンバー)
「ここは楽しくおいしく食べて気楽に過ごせるね。」
「女性がいないのは伝統さ。
それを守っているんだ。」
このクラブは1932年に誕生し
現在の会員は約300人。
年齢も職業もさまざまである。
この日はクラブ所有の食堂に約20人が集まった。
会長を務めるフランシスコ・サンチェスさん(62)。
いま妻と32歳の息子との3人暮らしである。
クラブに入会したのは36年前
妻の父の紹介で入り
今は息子も会員である。
チョコはバスクの男性にとって息抜きできる場として大切だという。
(サンチェスさん)
「バスク社会では女性が強い。
クラブなら男だけで気楽なんだ。」
美食クラブは歴史的に重要な役割を果たした。
(サンチェスさん)
「人々が抑圧されたフランコ時代でも
美食クラブなら政府への不満など自由にモノが言えたんだ。」
1975年まで続いたフランコ将軍の独裁。
バスク語に使用が禁止されるなど
バスク独自の文化は存続の危機に見舞われた。
地元の歴史家も
クラブはバスクの民族主義を支えてきた存在だという。
(地元の歴史家)
「1940年代から50年代にかけて
バスク語は抑圧されていたのです。
しかしクラブではバスク語で話したり歌を歌ったりして
バスクらしさを表現することができたのです。」
混乱の時代が終わり
男性たちの憩いの場に戻った美食クラブ。
いまは地元の食文化を支える重要な役割を担っているという。
サン・セバスチャンはバスク地方でも特に質の高いレストランが多いことでも知られている。
三ツ星レストランのオーナーシェフ マルティン・ベラサテギさん。
自らも所属する美食倶楽部は
料理人を育てる場になっているという。
(ベラサテギさん)
「私に取って美食クラブは料理の原点ですね。
駆け出しの料理人が
自分の腕を売り込む貴重な場になっているんです。」
グルメの町のどこかできょうも開かれる美食クラブ。
親睦を深める食事会にとどまらず
バスク民族の誇りを受け継ぐ大切な場になっている。