5月8日 編集手帳
お母さんは自分の汗を5歳の息子の体に塗って、
焼(しょう)夷(い)弾の熱から守ろうとする。
汗が尽きると涙を塗った。
〈折角(せっかく)生まれて来て、
ろくにおいしいものも食べず、
玩具だって、
遊園地だってよく知らないまま、
死んでしまうのか〉。
悲しみは母の目に涙を湧かした。
野坂昭如さんの小説「凧(たこ)になったお母さん」である。
連休前に刊行された中公文庫『教科書名短篇(たんぺん)― 人間の情景』で読んだ。
子の生涯にわたる無事を親は念ずる。
そのために汗も涙も流すが、
一生を見届けることはない。
あるとすれば、
子の人生が理不尽に断たれたときだろう。
その理不尽と向き合う人々が熊本の被災地にいる。
「頼りにしていた娘が先に逝くなんて」
「旅行しようと誘われていたのに」
「跡を継いでほ しいと考えていた」。
取材に絞り出した言葉を記事でたどる。
大学生13人が亡くなった1月のバス転落事故を報じた紙面にも親の痛哭(つうこく)があった。
世界から戦争をなくす。
災害に強い社会を築く。
事故の起きない仕組みを作る…。
世にいう進歩は不条理に苦しむ親を減らす歩みに一致する。
まだまだ途上なのだと、
母の日に際して思う。