ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

音楽を書き綴るということ

2007年05月29日 | 価値観
 
 こうやってほぼ毎日ブログのエントリーをUPしていると気づくんですが、好きなことについて書いているにもかかわらず、最近自分の文章が生き生きしてないかもしれないな、と思うんです。なんていうか、借り物の言葉で綴っている感じ。
 主に音楽について書いているため、データ的なこと(発表年とかメンバーとか)にミスがないよう、いろんなことをあらかた調べてから書くようにしているのです。ところが、いろいろ資料などを見ていると、その資料に使われている表現や言葉まで頭にインプットされてしまっているようで、いざエントリーを書く時に、自分の言葉にならないんです。


 できるだけ自分が感じたことだけを書きたいと思っています。だから、事実の羅列(つまりデータ的部分の丸写し)では終わりたくないし、聴いた音源が楽しかったのなら、どのように楽しく感じたかを書きたい、と思っています。
 でも最近自分の言葉が出てこない。出てこないというより、自分の語彙の乏しさに改めて気づかされた、と言っていいかもしれません。


 音楽を言葉や文章に変換する作業自体がとっても難しい、ということはあるかもしれません。それから、読んで下さる方みんなが音楽に詳しいわけでもないので、ひとりよがりな専門的単語はなるべく使わないようにしようとしているために、使う言葉が限られる、ということもあるかもしれない。でも、専門的な言葉を使わないで面白いエントリーを書いているブログはいくつもありますから、やっぱりそれは書けないことの理由にはなりませんね。


 ここでブログを書いている理由は大きく分けてみっつあります。ひとつは皆さんと同じで、好きなことを好きなように書き、発信すること。ふたつ、完全に音楽的趣味。好きな音楽は人それぞれだから、誰かに合わせて書くのではなく、自分の趣味(世界)を語ること。もうひとつは、ごく個人的なことなのですが、毎日何かを書くことによって、自分で自分の気持ちに張りを持たせたい(というか、張りを持たせる必要がある)、と思っている、ということです。
 でも、借り物の言葉で書くことに終わってしまったら、そこには「ブログを書かねばならない」というおかしな義務感だけが残ってしまいますよね。義務感だけで書かれた無味乾燥なエントリーなんて、書く方も読む方も楽しくはないでしょう。


 それに、記事を書くために音楽を聴く、というのも本末転倒ですよね。聴いて感じたこと、心に響いたことを書くからこそ、読み手側の方々も何かを感じながら読んで下さるはずですから。実際、エントリーに取り上げた音源は、その時聴きたいと思ったものばかりです。記事にするために適当に「今日はこれにしよう」と思ってCDを選ぼうとすると、絶対に文章になりません。借り物の言葉しか出てこないのです。借り物のフレーズしか出てこないなんて、もはやジャズでもロックでもないですもんね。
 ブログを書き続けることって、思ったよりたいへんなことなんですね。ネタは尽きることはないけれど(この世にあるCDの数だけエントリーを書いていったなら一生かかっても足りないでしょう)、「言葉のストックが尽きかけてるかな、マズイなー」と思っている今日この頃です。
 
 
 そう難しく考える必要のないことかもしれないのですが、このところ惰性(適当、とは違いますよ)でエントリーを書いていたかもしれない、と感じていたので、今日はちょっと自分の胸の内を書いてみました。


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コメント (12)
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