「出発の歌」は1971年10月に行われた「合歓ポピュラー・ソング・フェスティヴァル」に参加しました。
エントリーされた全34曲の中から、赤い鳥「窓にあかりがともる時」、沢田研二「君をのせて」、トワ・エ・モア「友達ならば」などを抑えて、グランプリに選ばれました。
次いで出場した同年11月の第2回世界歌謡祭でもグランプリに輝き、12月にレコードをリリース、翌72年にかけて大ヒットしました。
「ポピュラー・ソング・コンテスト」(通称ポプコン)もあってとてもややこしいのですが、この大会はポプコンとはまた別のフェスティヴァルで、歌手やプレイヤー中心だった当時の音楽状況の中で、作曲家に作品を発表する機会を与え、日本のポピュラー音楽の質の向上と反映をはかるという目的で開催されたものです。
ぼくがこの曲を知ったのは、高校の時です。先輩が組んでいたバンドに誘われたのですが、そのバンドはこの「出発の歌」をレパートリーにしていました。「出発の歌」が世に出てからずーっとあとのことで、ぼくはバンドの練習の時に初めてこの曲を聴いたわけです。その時は「まあまあいい曲だなあ」と思っただけで、原曲は聴かずじまいでした。
初めてオリジナルを聴いたのは数年前です。レンタル・ショップで借りた「青春歌年鑑'72」というオムニバス・アルバムの中に入っていたのです。「まあまあいい曲」どころか、なんてカッコいい曲なんでしょうか。
アコースティック・ギターによるイントロに続き、ヴォーカルが抑えた感じで入ってきます。
言葉をひとつひとつ丹念に拾ってゆくような、静かながらも芯が通ったような歌です。
サビのメロディーからはスケールの大きさが伝わってきます。
大らかなメロディーですね。よく伸びるふくよかな上條氏のバリトンが響きます。
何度も繰り返されるエンディングのリフレインは、力強いコーラス、ストリングス、ホーン・セクションなどが入ってくるダイナミックなもの。いったんブレイクした後で、ドラムスのフィル・インによって再びリフレインが繰り返されます。そして盛り上がったまま、エンディングを迎えるのです。
ダイナミックで、飛翔感のある名曲だと思います。
これは、上條氏の男っぽくてスケールの大きな歌唱力と楽曲の素晴らしさとが相まって、世間に和製フォーク・ロックの魅力を認めさせた曲だといってもいいでしょう。
上條氏は翌72年にはテレビドラマ「木枯らし紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」をもヒットさせ、その年の紅白歌合戦に出場しました。
その後は俳優として舞台に、テレビに、映画にと活動の場を広げています。素晴らしい声量の持ち主で、ミュージカルをもこなしています。ドラマでは、「3年B組金八先生」での社会科教師・服部肇役がとても有名ですね。
ぼくが印象に残っているのは、十朱幸代を慕う純朴な青年の役を演じた「男はつらいよ 寅次郎子守唄」です。これがまたハマり役だったんですよ。
「六文銭」は上條氏のバック・バンドではなく、この曲のためにコラボレートしたようです。
ちなみにリーダーの小室等氏は「フォーライフ・レコード」の初代社長を務めました。またメンバーの四角佳子嬢はのちに吉田拓郎と結婚しましたね。
六文銭
「出発の歌」は、卒業や結婚式などでもよく取り上げられていたみたいです。卒業ソングを集めた「卒業物語」というオムニバス・アルバムにも収録されています。
コーラス曲としてもよく歌われていたようですが、今はどうなんでしょう、あんまり歌われていないのかもしれません。
今では「隠れた名曲」的存在になっているのでしょうか。もっともっと歌われて欲しい曲だと思います。
[歌 詞]
■出発(たびだち)の歌 -失われた時を求めて-
■シングル・リリース
1971年11月
■作詞
及川恒平
■作曲
小室 等
■編曲
木田高介
■歌
上條恒彦+六文銭
(六文銭=及川恒平、原茂、橋本良一、四角佳子)
■チャート最高位
オリコン週間5位
「出発の歌」 上條恒彦・六文銭