1950年代以降、ジャズの流れをリードしていったのがマイルス・デイヴィスだ。マイルスが自分のバンドのメンバーに求めたものは、「常に新しい何かを創造」できることだったという。そして、その目にかなった者のひとりが、ハービー・ハンコックである。
ハービーがマイルス・バンドに加わって3年目に録音された「処女航海」は、1960年代ジャズの主流となっていたモード・ジャズを代表する作品だ。
「コード進行からの解放」をテーマにしたモードは、プレイヤーの技量を最大限に生かすことができるが、逆にいうとそれなりの力量を要求されるわけで、当時の主流の音楽とはいえ、それをこなせるミュージシャンはまだそう多くはなかった。
ハービーがこのアルバムに起用したメンバーは、フレディ・ハバードを除いて、すべてマイルス・クィンテットに参加したことがある者ばかりだ。おそらくハービーは、この時点で最も気心の知れた、技術的にも充分な力を持った面々をメンバーに選んだのだろう。
「処女航海」はハービーのリーダー・アルバムながら、ピアノだけがひとり歩きするのではなく、バンドとしてのまとまりを重視しているような気がする。メンバーそれぞれのカラーを出すよりも、かなり緻密に構成されたハンコック色のコンセプトがアルバム全体を覆っている感じだ。そこには、確固とした統一感があるように思う。
タイトル・チューンである1曲目の「処女航海」は、シンプルだけれどインパクトがある。この曲を聴いていると、静かな、キラキラした水面を、まさに船が波を切って出ていこうとする光景が目に浮かんでくるようだ。印象的なテーマをトランペットとテナー・サックスがとっていて、ソロもそのふたりが吹いている。ハービーのピアノは抑制が効いており、あまり前面に出てこないけれど、背後に控えながら曲全体を支えている。
2曲目は「アイ・オブ・ザ・ハリケーン」。この曲を、ハービー、ロン・カーター(bass)、ビリー・コブハム(drums)のトリオで演奏している映像を見たことがあるが、超高速かつパワフルな演奏で、目が画面に釘付けになった。
このアルバムの中でぼくが最も好きな曲は、5曲目の「ドルフィン・ダンス」だ。魅力的なメロディーを持つ、ミディアム・テンポのゆるやかな曲である。文字通り、軽やかに水中を泳ぎ、時には華麗に跳ね上がるイルカが表現されているような気がする曲だ。
「処女航海」は、もともと男性用化粧品のCM曲として書かれたものらしい。そのCMを見たハービーは、ヨットが映っているシーンでこの曲が流れ、「処女航海の香り」というキャッチ・コピーがつけられていたことから、この曲のタイトルを決めたそうである。
ジョージ・コールマンのテナー・サックスの落ち着いた音色や、フレディ・ハバードの丁寧で切れのあるトランペットも良い。ロン・カーターとトニー・ウィリアムスのリズム隊は、さすがに気心が知れているだけあって、絶妙のコンビネーションだ。
はじめての航海さながら、ジャズの新時代を切り拓いたと言われるこの作品は、おそらく誰が選んでも『20世紀のジャズ・アルバム100選』に入ると思う。ライナー・ノートの言葉を借りれば、「聴きなれても聴き飽きない」作品だろう。
ファンキーでエレクトリックなハービーも悪くはないけれど、アコースティックな、このようなアルバムを作るハービーもぼくは好きなのだ。
◆処女航海/Maiden Voyage
■演奏
ハービー・ハンコック/Herbie Hancock
■録音
1965年5月17日 ザ・ヴァン・ゲルダー・スタジオ (ニュージャージー州イングルウッド・クリフス)
■リリース
1965年
■プロデュース
アルフレッド・ライオン/Alfred Lion
■レコーディング・エンジニア
ルディ・ヴァン・ゲルダー/Rudy Van Gelder
■収録曲
A① 処女航海/Maiden Voyage
② ジ・アイ・オブ・ザ・ハリケーン/The Eye Of The Hurricane
③ リトル・ワン/Little One
④ サヴァイヴァル・オブ・ザ・フィッテスト/Survival Of The Fittest
⑤ ドルフィン・ダンス/Dolphin Dance
※ All Compositions By Herbie Hancock
■録音メンバー
ハービー・ハンコック/Herbie Hancock (piano)
フレディ・ハバード/Freddie Hubbard (trumpet)
ジョージ・コールマン/George Cleman (tenor-sax)
ロン・カーター/Ron Carter (bass)
トニー・ウィリアムス/Anthony Williams (drums)