私が小学校6年生か中1の頃、ちょうど大阪万博が千里で開催されていたころ、「三無主義」という言葉がはやりました。(保護者のみなさんはご存じないかとは思いますが、1970年前後です。)
「三無主義」とは無気力・無関心・無責任で、日本で学生運動が下火になったころ、政治に関心を示さず、この当時の高校生や大学生は、「ぼくたちは周りにしばられずに、好きなように生きますよ」。
ちょうど高度経済成長期の矛盾として、四日市ぜんそく、水俣病、イタイイタイ病などの公害が表出してきて、モーレツな働き方に反対する若者の心情を表現していたのかもしれません。ガツガツ働いてもしょうがないでしょう、周りで起こっていることには関係ないし、関わらないから、自分に責任はありません、といったものだったのでしょう。
そして、いまや右肩上がりの経済成長は望むべくもないいま、再び無気力・無関心・無責任の人が増えてきたように思います。
「意欲を高めて」というと「しんどいし」とか「疲れるし」、「興味関心をもちなさい」というと、「興味や関心で、なにかもらえるの」、「それはあなたの責任だろ」というと「なんで私だけが責任をもたなあかんのよ」・・・。
でも、これではなんのために日々を暮らしているのでしょうか。ものごとに関心をもつことで、いきいきしている人がいます。その人の話は聞いていてもたいへんおもしろいものです。何ごとにも関心をもっているので、話題が新鮮なのです。いっしょに話していると楽しくなります。
とかく、関心が自分に向きやすい時代です。そのため、他者のことに無関心な人が増えているように感じます。
いみじくもマザー・テレサは言いました。
The opposite of love is indifference.(愛の反対は無関心である。)
わたしも、できるだけいろいろなことに関心をもつようにしています。
生徒でいえば、クラスのとなりにいる子のことを気にかけて、つながりあって生活していく。それが、クラスの団結とか一体感に高まっていくものだと思います。中学校では、3年生に近づくにしたがって、子どもにとってのクラスの意味が大きくなってくるのが普通です。