自分のことは、なかなかわからないものです。
昨日には、これは楽しいと思っていたことが、今日になると、つまらないことと思うことがあります。
他者を攻撃したり、人に嫉妬する。人にこび、あとで自己嫌悪を抱く。
とかく自分のことはわからないもの。迷いやすい存在です。
かくして、自分では自分のことはわかりにくいのですが、周りの人のほうがよく見ていることがあります。
テニスをしているアスリート自身は相手の選手とのやりとりで、目の前のことしか見えず気がつかなくても、観客の方が試合の大局をわかっていたりすることがあります。
同じことが私たちの生き方にも起こります。周りからみれば、あの人は幸せと思っていても、本人はそう感じていない。
「なんやかんや言っても、あなたはけっこう幸せだと思うよ」と言われます。そのように言われて、ハッと気がつくことがあります。大局を見て意見してくれる人のおかげです。
しかし、これが大きな仇となることもあります。「あんたに、何がわかるのよ。何も知らないくせに、勝手なことを言わないで!」とキレます。キレても幸せになるわけではないのに。
大局的的な見方で自分が幸せと気づくのも、自分自身で幸せだと思うのも、結果的には自分が決めることです。
つまり幸せとは、「あるもの」ではなく、自分で「認めるもの」なのだと思います。