他者の言動に対して厳しく扱う時代です。
ネットでは、気に入らない書き込みやコメントを見つけると、「許せない」と容赦ない非難が寄せられ、「炎上」することもあります。
そのように「何でも光を当てなくっちゃ」というトーンで、すべてのことに「白黒をはっきりとさせる」という今の時代の風潮には疑問を感じます。
「不正やまちがいは許さないよ」という考え方は大事ですが、影の部分は影として置いておくことも必要ではないでしょうか。
貧困の問題、生活苦、人間関係の希薄化、関心が自分に向く個人化など、世の中全体に心の余裕がなく、不公平感を抱く人が多くなり、「そんなこともあるよね」では、済ませられなくなっているのかもしれません。
子どもの世界への光の当て方も、同じことがいえる気がします。影を残しておけば、なんらかの不正も行われるかもしれません。
ですから、「光を当て続けるのよ」という理屈が成り立ちそうですが、「徹頭徹尾正しいことを通します」という考えは、何かしら現実にフィットしないように思います。
短期的にみれば、「悪」としかいえないようなものを通り過ぎる機会や時間が子どもには必要なのです。
言葉や理屈だけでは解決されないような世界で、ゆっくりと育まれてくる、「清濁あわせ飲む」魂、いつも張りつめているばかりではない、いわゆる「あそび」のようなものがあるのだと思います。
親であっても、子どもの中に立ち入らない方がいい部分を残しておかなければならない。
「それでは不安ですよ」という声が聞こえてきそうですが、人生は何でも準備万端、万全の状態で生きることなどできません。
だから親が子どもに対して、意識して「みない部分」(=影)を作ってやるべきだと思います。