人の関心が、まわりの人や周りの人との関係よりも、自分に向くことを、「個人化」といいます。
個人化は、社会学では、privatization(プライバタイゼーション)と呼んでいます。
今の日本社会では、個人化が進んできています。
時代も、集団やグループよりも、個の時代と考えられていて、個性を発揮することやそれを認めていく風潮になっています。
多様性が重視されるのも、個人化の流れを汲んで、個人のありようを尊重していると思われます。
ただし、だからといって、他者と交わらなくてもいいということにはならないのだと思います。
社会や世の中に一歩出ると、その空間は公的なものです。
そうなると、私的な思いや考えは少し抑えて、他者と調和していくという条件がついてくるのです。
ところが現状では、誤解している人が多すぎます。
都市圏の電車の中で、ものを食べるのが平気な人。
スマホに夢中になり、一人で悦にいっている人。
まわりに構わず、大声で話す人。
時間をかけ、入念に化粧に興ずる人。
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自分のしたいことを遠慮なく他者にぶつけてきて、心を痛める人はとまどい、黙り、困ったものだという表情を浮かべます。
しかし、個人化に没頭する人は、そのようなまわりの人に気がつきません。
わたしは、個人化を否定するつもりはなく、むしろ集団に個が埋没していた時代とちがい、大切だと考えています。
しかし、個人化はとかく「自分勝手」と隣り合わせにある、もろ刃の剣であることを知っておきたいものです。