わたしは2019年の9月に輪島の朝市を訪れました。
その輪島の朝市は大賑わいでしたが、今年の1月1日に発生した能登半島地震の火災で、壊滅的な被害を受けました。
燃えないで残った漆器店でも、山積みの瓦礫が重なり、輪島塗の漆器は下敷きになりました。
ある漆器店では瓦礫の下からは、2月を過ぎてから少しずつ漆器を取り出しました。
ほとんどの漆器がなんとか無事でした。
この漆器は、若い職人が輪島塗の技術を学ぶための大切な資料となります。
明治時代から引き継いできた輪島塗の歴史そのものなのです。それを未来に引き継いでいくために伝承していくかけがえのない現物となるのです。
なかには、壊れた漆器もあったのですが、漆はそれ自体が強い接着剤になるので、割れたところを繋いで漆を上塗りすればよみがえります。
輪島塗は、ずっと以前は行商の販売スタイルをとっていました。
北は樺太から、南は沖縄まで、塗師屋が自分の足で歩いて漆器を売っていました。
ところが、バブル景気になると輪島塗は飛ぶように売れるようになり、デパートなどで美術品、高級品として販売されるようになりました。
しかし。輪島塗は、本来、一生使うことができる「くらしの道具」であり、宝物のように押し入れにしまいこむ器ではないのです。
使い込んだ漆器は、塗り直しします。壊れたら修理してまた使うのがくらしの道具なのです。
使う人の顔が見えるから、塗師屋と顧客との信頼関係が生まれます。
輪島塗には信頼関係をベースして、いまでも行商をする店もあります。
時間はかかるでしょうが、輪島の朝市が蘇ることを期してやみません。